「お金」だけの問題か
ここまで、
教育費についてさまざまな角度から書いてきました。
総額。
ピーク。
家計との関係。
振り返るほどに、
単純な金額の話ではなかったと感じています。
総額は一つの目安でしかなかった
我が家が中学受験にかけた総額は、
およそ250万円でした。
この金額だけを見ると、
多いのか少ないのか、
判断が難しい部分があります。
難関校志望家庭の費用感と比べれば低い。
一般的な習い事と比べれば高い。
総額は目安にはなりますが、
時間軸、状況によって大いに変化の可能性があり、
いくらなら妥当なのかは最後までわかりませんでした。
費用は連なる尾根だった
また、教育費は均等には発生しませんでした。
3年間、尾根のように長く連なります。
そのなかにも講習など急峻な部分がある。
教材費が増える時期もあります。
支出は段階的に増え、
家計の感覚も揺れていきました。
特に講習費がかさんだタイミングで、
管理の甘さに気づいたこともありました。
費用と安心感は連動していた
講座に参加した時。
教材を揃えたとき。
「これだけやっているのだから」
という安心感が生まれていました。
費用は安心と結びつきやすい。
その感覚が、
判断を揺らすこともありました。
一方で、費用をかけた時期と、
成績の変化は一致していませんでした。
講座を増やしても、
教材を積んでも、
すぐに結果が出るということは一度もありませんでした。
理解がつながったとき。
主体性が戻ったとき。
伸びを感じたのは、
費用とは別の文脈の中でした。
転塾して個別指導に移り、
苦手な単元をみつけて
一から基礎を学び直す。
課題の量も減らし、
復習の時間を確保した時期。
理解はむしろその頃に進みました。
量ではなく、
密度という感覚が残っています。
志望校ラインで費用構造は変わった
志望校を現実ラインに置き直したことで、
費用のかけ方も変わりました。
学校別対策。
最難関講座。
大量のオプション。
積み増しはしませんでした。
基礎的な問題が出る学校だったので、
対策は、
広げるより絞る方向でした。
家計との関係も無視できなかった
教育費は、
単独では存在していませんでした。
住宅ローン。
生活費。
将来の資金。
それらと並行して考えなければなりませんでした。
教育費だけを見て判断するというのは
なかなか難しい印象があります。
情報は判断を揺らした
SNSの投稿。
費用の比較。
他家庭のお金のかけ方。
外部情報に触れるほど、
基準が外に引っ張られそうになりました。
「周りがやっているから」
という感覚も生まれました。
ただ、最終的に基準になったのは、
ほかの家庭ではありませんでした。
長男の理解度。
志望校との距離。
家庭の方針。
そこに戻って考えるようになりました。
夫婦の合意も影響していた
教育費は、
一人では決められませんでした。
どこまでかけるのか。
どこで見直すのか。
最初は曖昧だった合意も、
途中から修正されていきました。
費用の輪郭は、
話し合いの中で形づくられていきました。
まとめに代えて
教育費を振り返ると、
金額の記憶よりも、
判断の過程が残っています。
増やすか。
抑えるか。
配分を変えるか。
その都度、
迷いながら選んでいました。
教育費は、
かけた額だけで意味が決まるものではありませんでした。
どんなタイミングでどこにかけるか。
家庭としてどう考えるか。
それらを含めて、
教育費の輪郭が形づくられていったように思います。
次回は、
教育費と人生設計の接点に進みます。
受験期に考えたお金の話が、
その後の暮らしや選択に
どのようにつながっていったのか。
振り返りながら整理します。

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