答えを写すようになったときのショック|気づいた瞬間に感じた違和感

ある日、いつもと違う様子に気づいた

算数に取りかかるまでに
時間がかかるようになり、
「できない」という言葉が
増えていた頃のことです。

その日も、
長男は机に向かっていました。

テキストを開き、
ノートも出している。
一見すると、
いつもと変わらない光景でした。

ただ、
ふとした瞬間に、
違和感を覚えました。

解いているはずなのに、考えていない

問題は進んでいる。
ノートには式も書いてある。

「おおすごい。かなり進んでるじゃん」
そんな声をかけたのを覚えています。

けれど、
その書き方が、
どこか不自然な気がしました。

ふだんはノートの余白に書いている
式の途中で必要になる筆算が書かれていない。

「どうやって解いたの?」
と聞くと、
返ってくる答えは、
とても曖昧でした。

説明しようとすると、
ノートに書かれた式をそのまま言うだけ。

そのとき、
血の気が引くような感覚が走りました。

答えを写しているかもしれない、という疑い

最初は、
気のせいだと思おうとしました。

筆算は別の紙に書いただけかもしれない
たまたま今日は、
考え方を説明する気分では
なかったのかもしれない。

けれど、
同じような場面が、
何度か続きました。

図形の問題で
平行線や錯角などわかった角度を図形に書きこんでいかないと
明らかに解けない問題。
それらがないのに
答えだけは書かれている。
しかもすべて正解。

「もしかして……」
そう思った瞬間、
頭の中が、
一気にざわつきました。

責めたい気持ちと、責められない理由

答えを写しているとしたら、
それは
望ましい行動ではありません。

というより
一番避けなければならない状況だったはずです。

親としては、
注意すべきことです。
「それをしたってなんにも学びにならない」
怒りたくなる感情もわき上がります。

ただ、
「できない」「わからない」が増えていた状況です。
算数を勉強する時間が
長男にとって憂鬱な時間になっていた。

ここまで追い込まれていた中で、
「とにかく終わらせたい」
と思う気持ちが
生まれても不思議ではない。

妻と話すとそんな言葉がありました。
本当にその通りですよね。

親として感じた、別のショック

ショックだったのは、
「答えを写していたかもしれない」
という事実そのものよりも、
それに
気づくまでの自分でした。

いつから、
こうなっていたのか。
もっと早く、
何かできたのではないか。

そんな思いが、
次々と浮かんできます。

とにかく
宿題をできるだけ終わらせることが大事
宿題をすれば
なんとか授業にも追いつけるだろう
本来の宿題の目的は「理解」のはずなのに
もはや目的と手段が入れ替わっていた。
それに気づかなかった。
かえって長男を追い詰めてしまっていた。

この出来事は、
算数の問題というより、
置かれている状況が危機的であるということを
強く突きつけられたような
感覚でした。

まとめに代えて

答えを写すという行動は、
決して
褒められるものではありません。

ただ、
それは
突然現れたものではなく、
これまで積み重なってきた
状況の延長線上に
あったように思います。

わからない。
追いつかない。
それでも終わらせなければならない。

その中で、
選ばれてしまった
一つの行動だったのではないでしょうか。

この時点では、
まだ
「どうするべきか」
という答えは
出せていませんでした。

ただ、
算数の問題を超え、
中学受験対策全体が崩れ始めている。

そんな感覚だけは、
はっきりと残っていました。

次の記事では、
算数だけで起きていた変化が、
少しずつ
他の教科にも
広がっていった様子について、
振り返ります。

▼国語・理科・社会。算数以外も崩れ始めた

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です