算数だけ明らかに重く扱いづらい
集団塾に通う中で感じていた違和感は、
いくつかありました。
その中でも
一番早く、そして最もはっきりと表れたのが、
算数でした。
成績を見て
「算数がひどい」と判断した、
という話ではありません。
もっと手前の段階で、
算数という教科だけが、
明らかに重く、扱いづらいものに
変わっていく感覚がありました。
当時はそれを、
「中学受験の算数は難しいから」
「みんな同じように苦労しているはず」
そんなふうに受け止めていました。
もちろんその子その子によって
得意不得意な科目はあると思いますから一概には言えません。
けれどいま振り返ると、
算数は、
集団塾という環境の中で
最初に無理が表に出やすい教科だったのだと思います。
算数は「立ち止まれない教科」だった
算数は、
一つひとつの理解が積み重なっていく教科です。
前の内容が曖昧なままでは、
次の内容を理解することが難しい。
数字の示す意味や文章の意味を理解しないと進めない。
本来は、
立ち止まりながら確認することが
必要な教科でもあります。
ただ、
集団塾のカリキュラムの中では、
算数もほかの教科と同じように
一定のスピードで進んでいきます。
一度つまずいても、
授業は止まりません。
この「止まれない構造」が、
算数という教科と
噛み合っていなかったように思います。
理解より「進行」が優先される環境
集団塾では、
限られた時間の中で
多くの内容を扱う必要があります。
そのため、
個々の理解度よりも
全体の進行が優先されがちになります。
どのレベルのクラスであってもその傾向は同様かと思います。
これは塾の問題というより、
集団指導という形式そのものが
持っている性質だと思います。
算数の場合、
「分かったかどうか」が曖昧なままでも
次に進めてしまう。
その積み重ねが、
気づかないうちに
負担として蓄積されていきました。
算数は家庭フォローの影響を受けやすい
算数は、
家庭でのフォローの影響を
強く受ける教科でもあります。
考え方や途中式、
問題への向き合い方など、
ちょっとしたズレが
理解に大きく影響します。
一方で、
集団塾では
「家庭では教えないでください」
というスタンスが取られることもあります。
家庭で支える必要がある一方で、
関わり方には制限がある。
この微妙なバランスが、
算数では特に難しく感じられました。
「分からない」が蓄積しやすい構造
算数は、
分からないところを
そのままにしやすい教科でもあります。
その場では何となく流れてしまい、
後になって
「あれが分かっていなかった」と
気づくことも多い。
しかも、
分からない箇所が
次の内容に直結するため、
後から取り戻すのが
簡単ではありません。
この「分からないの蓄積」が、
算数では
特に起こりやすかったように思います。
最初に表面化しただけだったのかもしれない
算数が一番苦しくなったからといって、
算数だけに問題があった、
というわけではありません。
むしろ、
集団塾という環境の中で、
最初に無理が表に出やすかったのが
算数だった。
そう考えたほうが、
しっくりきます。
当時は、
「算数が苦手なのかもしれない」
と受け止めていましたが、
いま振り返ると、
もっと大きな構造の問題が
そこにあったのだと思います。
まとめに代えて
この時点では、
まだ「集団塾をやめる」という判断には
至っていません。
ただ、
算数を通して、
集団塾の進め方や前提が、
我が家には合っていないのかもしれない。
そんな感覚が、
少しずつ形を持ち始めていました。
算数で起きていた具体的なことについては、
次から、
もう少しずつ分けて書いていきたいと思います。
算数が苦しくなった最初の引き金は、
実は「単元の進み方」そのものにありました。
次の記事で振り返ります。

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