わたしの打算
前の記事では、
長男が
その学校の名前を
自分から言うようになった話を書きました。
同じ頃、
私たち親の側にも、
はっきりとは言葉にしていなかった
感情がありました。
「ここに行けたらいいな」
その気持ちは、
子どもとは少し違う形で
私たちの中に
存在していたように思います。
親の側には、別の見え方があった
当時、
私たちがその学校を意識していた理由は、
雰囲気や安心感だけでは
ありませんでした。
偏差値の位置。
進学実績。
その先に広がる進路の選択肢。
はっきり言えば
学校選びの前提はそちらの方が大きかった。
いつかは長男も社会人になるときがくる。
自分のやりたいことを仕事にしてほしい。
希望する就職先に入ってほしい。
そんな思いがありました。
だから、中学選びは
その「いつか」を有利に運ぶために逆算して、
希望する大学や難関大学への進学を確かなものにする
その一歩目という印象でした。
ただ、
それを表に出して話していたかというと、
そうではなかったと思います。
家での会話では、
「いい学校だよね」
「落ち着いて通えそうだよね」
という言い方が中心でした。
期待と現実のあいだで揺れていた
正直に言えば、
私たちの中には期待もありました。
「このレベルの学校に入れたら」
という気持ち。
将来の選択肢が広がるかもしれない、
という感覚。
でも同時に、
現実も見えていました。
今の学力。
今の状況。
この先、
どうなるか分からないという不確実さ。
「目指す」と言うには、
まだ早い。
「現実的だ」と言うには、
まだ材料が足りない。
その間で、
私たち自身が
揺れていたのだと思います。
子どもには、そのまま伝えていなかった
こうした気持ちを、
私たちは
そのまま長男に伝えていたわけではありません。
「この学校に行けたらいい」
という言葉は、
口にしても、
「この学校に入ってほしい」
「このレベルでなければならない」
という形では、
言葉にしていなかった。
期待があるからこそ、
それが長男の重荷にならないよう
距離を取っていた。
いま振り返ると、
そんな関わり方を
していたように思います。
親の側の「判断」も、まだ曖昧だった
この時点での私たちの気持ちは、
はっきりした判断というより、
願望に近いものでした。
「ここに行けたら」
という仮定の話。
現実的な戦略や、
具体的な計画は
まったく思い描けていませんでした。
それでも、
頭の中には
「このくらいの学校」という
一つの基準が、
置かれ始めていた。
それが、
のちの判断に影響していったのだと、
いまは思います。
まとめに代えて
「ここに行けたら」と思っていた頃の
親の本音は、
期待と現実のあいだにありました。
強く求めていたわけでもない。
冷静に割り切っていたわけでもない。
ただ、
選択肢として
心の中に置いていた。
その状態が、
この時期の私たちだったのだと思います。
この段階では、
まだ何も決めていませんでした。
でも、
基準が生まれ始めていた。
そのことだけは、
確かだったように感じています。
次の記事では、
現実的に厳しいかもしれないと
感じ始めたタイミングについて書きます。
「いいな」という気持ちと、
現実の距離感が
少しずつ
見えてきた話です。

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