偏差値より重視したポイント|進路としての「大学」が見えた学校

偏差値を見るのはやめたわけではないが

志望校を
「実現可能なライン」に置き直してから、
学校の見方は、さらに変わっていきました。

偏差値を見ることを
やめたわけではありません。
ただ、
それが判断の中心に
居座ることはなくなっていました。

では、
最終的に何を重視するようになったのか。
振り返ってみると、
一番大きかったのは
「その先が想像できるかどうか」
だったように思います。

中学受験を「大学までの途中」として考え始めた

この頃から、
中学受験を
それ単体の勝負としてではなく、
大学まで続く道の一つの区切りとして
考えるようになっていました。

偏差値の高い学校に入ることが
ゴールなのではなく、
6年間をどう使えるか。
その先に、
どんな選択肢が残るのか。

そう考えると、
学校を見る視点も
自然と変わっていきました。

進学実績の「高さ」より「厚み」が気になった

進学実績についても、
見方が変わっていました。

最難関大学への合格者数を
前面に出すかどうかよりも、
どのあたりの大学に
多くの生徒が進んでいるのか。

それぞれの家庭で違いがあると思いますが、
我が家では
GMARCHあたりが
一つのボリュームゾーンとして
見えていることに魅力を感じました。

それは、
一部の突出した結果ではなく、
多くの生徒が
6年間の積み上げの中で
到達している結果だと
感じられました。

「中堅校でも、ここから先を伸ばせる余地がある」
そう思えたことは、
大きなポイントでした。

高校以降の学び方が見えていたこと

もう一つ、
印象に残っているのは、
大学受験を見据えた
指導の仕組みでした。

高校段階で、
外部の予備校と連携した指導を受けられる。
必要に応じて、
学校の外のリソースも
使えるようになっている。

学校の中だけで
すべてを完結させるのではなく、
状況に応じて学び方を選べる余地がある。

その柔らかさが、
これから先の6年間を考えたときに、
現実的に感じられました。

学校生活を「楽しめる」イメージがあった

勉強以外の部分も、
無視できませんでした。

部活動や行事を含めて、
長男が
学校生活そのものを
楽しんでいる姿が想像できたかどうか。

説明会や話を聞く中で、
「ここなら、勉強だけで追い詰められることはなさそうだ」
そんな感覚がありました。

受験で疲れてきた時期だったからこそ、
この点は思っていた以上に
大きかったのかもしれません。

偏差値は、最後の確認事項になっていた

こうして振り返ると、
偏差値は
完全に無視したわけではありません。

ただ、
最初に見るものではなく、
最後に大きなズレがないかを
確認するための指標になっていました。

進学実績の厚み。
高校以降の学び方。
学校生活のイメージ。

それらを重ねた上で、
「この偏差値帯なら、無理はない」
そう確認する。

偏差値の位置づけが、
いつの間にか変わっていたのだと思います。

まとめに代えて

偏差値より重視したポイントは、
一言で言えば、
「その先まで含めて無理なく続けられるか」
でした。

中学受験をゴールにしない。
6年間の時間をどう使えるかを見る。

そう考えたとき、
自然と残った学校がありました。

この選び方が
正しかったのかどうかは、
いまでもわかりません。

ただ、
少なくとも焦りや背伸びではなく、
前を向いて選べた。

それは、
大きな変化だったように思います。

次の記事では、
こうして判断軸が定まったあと、
成績や家庭の空気に
どんな変化が出てきたのかについて
書いていきます。

▼ 次記事
成績が伸び始めたときの家庭の変化|焦りが少しずつ薄れていった頃

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