志望校を実現可能なラインに置き直した判断|引き算を受け入れ始めた頃

どこを志望すれば向き合えるか

説明会をいくつか重ねて、
私たちの中で
少しずつ変わってきたものがありました。

それは、
「どこを目指すか」ではなく、
「どこなら向き合えるか」という感覚です。

志望校を
正式に決めたわけではありません。
ただ、
頭の中に置いていたラインを、
引き直していました。

「上」を見続けるのが、しんどくなっていた

偏差値65の学校を目安にしていた頃、
大学附属を目標にしていた頃、
私たちは常に
上を見ていました。

合格80%偏差値。
あと何点。
どれだけ足りないか。

気づけば、
「足りない部分」ばかりを見ていて
「届くかどうか」ではなく
「届かなければいけない」
に変わっていたように思います。

それが、
少しずつ負担になっていました。
親だけでなく、長男にとってもです。

説明会で感じた「無理のなさ」

中堅校の説明会では、
別の感覚がありました。

この学校で、
6年間を過ごすとしたら。
日々の授業を受け、
テストを受け、
行事に参加する。

その姿が、
極端な背伸びをせずに
思い描ける。

それは、
安心というより、
無理がない、
という感覚でした。

「実現可能なライン」という言葉が、浮かんできた

いつからか、
「実現可能なライン」という言葉が
浮かぶようになりました。

妥協ラインでも、
最低ラインでもありません。

いまの成績と、
いまの学習ペース。
そして、
長男の様子。

それらを
まとめて見たときに、
大きな歪みが出ない位置。

そこに
志望校を置き直す。
ようやく無理のない位置にたどり着いた。
そんな感覚でした。

目標を
失ったわけではなく、
新しい目標ができた。
そう考えることにしました。

子どもの表情が、少し変わった

志望校の話をしたとき、
長男の表情も
少し変わりました。

「頑張れば、届くかもしれない」

そう思える距離に
目標があることは、
想像以上に
大きかったのだと思います。

以前のような
重たさは、薄れていました。

判断ではなく、置き直しだった

このときの私たちの行動は、
決断というより、調整でした。

志望校を
白黒つけるのではなく、
位置を少し動かす。

それだけで、
考え続ける余地が生まれました。

まとめに代えて

志望校を
実現可能ラインに
置き直したのは、これ以上、歪んだ状態で
考え続けないため。

そして、
長男と一緒に
前を向いて中学受験に挑むためでした。

この判断が
正しかったのかどうかは、
この時点ではまだ分かっていません。

ただ、
ここから先を考える土台としては、必要な調整だった。

いま振り返ると、そう思います。

次の記事では、
この「実現可能ライン」を設定する前後、
塾との関係がどう変わっていったかについて
書いていきます。

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