SNSの教育費情報に惑わされた話|比較が止まらなくなった時期

ついつい眺めてしまう

教育費の情報を集める中で、
避けて通れなかったのがSNSでした。

検索すれば、すぐに出てくる。
ついつい通勤の電車のなかで眺めてしまう。

塾。
講習費。
併用。

数字も、体験談も、
具体的に並んでいました。

当時は、
参考になる情報だと思って見ていましたが、
振り返ると、
判断を助けたというより、
揺らした側面の方が大きかったように思います。

費用感の投稿は想像以上に具体的だった

印象に残っているのは、
費用に関する投稿の具体性でした。

年間いくらか。
どこにいくらかけているのか。

ぼかしながら書きますが、
たとえばこんな温度の投稿を、
何度か目にしました。

「算数は集団だけだと不安なので個別併用。
 直前期は家庭教師も入れました」

「講習は基本フル受講。合宿も参加」

「年間200万くらいですが、受験するなら普通かなと」

単発ではありません。
似たような金額感、
似たような併用パターンは、
複数アカウントで見かけました。

そのたびに、
我が家の支出水準と、
頭の中で並べてしまっていました。

「そこまでやるんだ」
当時の率直な感想は驚きに近いものでした。

もちろん、
SNS上では難関校を狙う家庭が多いことは理解していました。
ただ、
その費用感が可視化されると、
「やらないと届かないのか」
という不安が生まれていきました。

難関校志向のアカウントが中心に見えた

もうひとつ感じたのは、
発信している層の偏りでした。

難関校志望。
最難関併願。
御三家対策。

そうした家庭の投稿は、
熱量も高く、発信量も多い。

タイムライン上では、
それが「標準」に見えてきます。

冷静に考えればあくまで一部の層です。

それでも
見続けていると、
感覚は引っ張られていきました。

学校序列や費用感に対する空気

気になった投稿もありました。

これもぼかしますが、
学校群に対する温度です。

「この偏差値帯なら公立でいいのでは」
「そこに行くなら受験の意味ある?」
「うちは併願にも入れません」

直接的な悪意というより、前提としての序列感。

費用に関しても、
「必要経費ですよね」
「教育投資なので惜しくない」

そうした語り口も何度か見かけました。

我が家からすると、
同じ土俵にいない。
その土俵に上がれないという感覚のほうが近いかもしれません。

比較は止めようとしても止まらなかった

頭では分かっていました。

家庭の前提は違う。
収入も違う。
志望校も違う。

それでも、頭のなかには数字が残ります。

年間200万。
個別併用。
家庭教師。

見た情報は蓄積されていきました。

そして、
ふとしたときに、
比較として浮かび上がる。

意識していなくても、
基準は少しずつ動いていたのだと思います。

我が家のラインを揺らしかけた

実際、
影響がゼロだったとは言えません。

個別を入れるべきか。
講習を削っていいのか。
志望校対策は足りているのか。
SNSを見たあとほど、
判断に迷いが出ました。

妻とも、
「ここまでかけている家もあるみたいだよ」
「うちはどうする?」
という会話が増えた時期もありました。

情報の温度は数字以上に高い

SNSの特徴は、
数字だけではありません。

温度があります。

「ここまでやっている」
「これが普通」
「やらないと届かない」

その空気感が、
数字以上に不安を増幅させていたように思います。

まとめに代えて

SNSの教育費情報は、
具体的でした。
参考になる側面もありました。

ただ、
同時に、
基準を揺らす力も強かった。

難関校志向の投稿が多く、
費用感も高い。

その空気の中に長くいると、
我が家の位置が見えにくくなっていきました。

必要だったのは、
外の基準ではなく、
我が家の上限でした。

どこまでかけるのか。
どこから先はかけないのか。

その線を持っていないと、
情報に引っ張られ続けてしまう。

いま振り返ると、
そう感じます。

次の記事では、
SNSを見て揺れたのは、
情報が多かったからというより、
「周りがやっている」という空気に飲まれたからだったのではないか、という話を書きます。

▼ 次記事
「周りがやっているから」に流された失敗|判断の出発点がずれる

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