削るかどうか、その場で迷いながら
中学受験期の家計を振り返ると、
「これは削ってよかった」と言える支出と、
「ここは削れなかった」と感じる支出が、
はっきり分かれていたように思います。
ただし、
それらは当時から明確に判断できていたわけではありません。
その場その場で迷いながら、
結果として
「あれはなくても大丈夫だった」
と、あとから思えたものがいくつかありました。
中学受験を経験したあとに
「削ってよかった」と感じた支出について、
結果論として振り返ってみます。
習い事をすべてやめた判断
もっとも大きかったのは、
複数続けていた習い事を、
すべてやめたことでした。
当時は、
どれも簡単にやめられるものではなく、
それぞれに理由があり、
本人も続けてきた時間がありました。
塾の宿題が終わらず、
毎日が追われるようになっていく中で、
どこかで歪みが出ていたのも事実です。
習い事をやめたことで、
浮いた時間とお金は、
そのまま塾に回ったわけではありません。
「追い詰められない余白」を
つくることになっていました。
振り返ると、
この判断は、教育費を削ったというより、
生活全体を立て直した判断だったように思います。
ただ、長男は
ほかの習い事より
中学受験を優先してもいいという意思を示したことが
大きかったと感じています。
名残はありましたが、やめるという選択を親もとれた。
中学受験より、もっとやりたい、
熱中している習い事があった場合は
どうするかという答えはいまも出ていません。
教材を「増やさなかった」こと
中学受験期は、
気がつくと教材が増えがちです。
塾のテキストに加えて、
市販の問題集、参考書、
評判の良い一冊。
苦手なところが見つかった時、
塾のテキストやプリントだけでは自宅で補えない
ということはよくありました。
すると、どうしてもこうした書籍に手が伸びます。
「やったほうがいい」
「あれば安心」
という気持ちでした。
結局、手つかずになって
本棚の飾りになっているものもありました。
ただ、
我が家では、
途中から意識的に
教材を増やさないようにしていました。
できるだけ少なくして、
今あるものを繰り返し使う。
書き込む場合はノートに書く。
新しい教材にかける費用は、
かなり抑えられていたと思います。
あとから振り返ると、
「足りなかった」のではなく、
「十分だった」
そう言える内容でした。
外部講座や追加オプションを選ばなかったこと
塾には、
通常授業や講習以外にも、
さまざまな選択肢がありました。
オプション講座。
中学受験から離れた思考力や英語を鍛える講座。
案内を見るたびに、
迷いはありました。
ただ、
「今やっていることが回っていないのに、
これ以上増やしても崩れるだけではないか」
そんな感覚もありました。
多くの追加オプションは選ばず、
ほぼスタンダード、追加なしで
今の学習を維持することを
優先しました。
あとから考えると、
これは費用面だけでなく、
学習の安定という意味でも、
削ってよかった部分だったと思います。
削ったことで「失われなかったもの」
削ってよかった支出を振り返ると、
共通しているのは、
それらをやめたことで
大きなものを失った感覚がない、
という点です。
成績が大きく下がったわけでもなく、
選択肢が極端に狭まったわけでもない。
やるべきことが整理され、
家庭の空気が落ち着いた。
そう感じる場面のほうが
多かったように思います。
まとめに代えて
教育費で削ってよかった支出は、
「なくても成り立ったもの」
だったのだと思います。
当時は、
削ることが不安で、
勇気がいる判断でした。
削ったことで
守れたものも確かにありました。
次の記事では、
その一方で
「これは削れなかった」と感じた支出について、
同じように振り返ってみたいと思います。









