投稿者: fpksc131

  • 第一志望の合格発表|一本受験で迎えた2日目の結果

    第一志望の合格発表|一本受験で迎えた2日目の結果

    どう着地したのか

    ここまで、
    志望校の選び方や塾の判断、
    迷いと揺れなどを順を追って書いてきました。

    ただ、
    受験の記録として避けて通れないものがあります。

    結果です。

    ここまで読んでくださった方にとって、
    着地がどうなったのかは、
    気になる部分でもあると思います。

    今回は、
    Phase2のエクストラとして、
    第一志望の合格発表までの流れを、
    判断と反省を含めて整理しておきます。

    志望校は1校に絞っていた

    我が家は、
    偏差値55〜60帯の中堅校1校に志望校を絞りました。

    その学校の

    上位クラス
    下位クラス

    両方の日程を、
    2月1日からすべて受験する形です。

    日程が進むほど定員は減っていくため、

    1日目午前
    1日目午後

    ここが実質的な本番という位置づけでした。

    目標は下位クラス合格。
    上位クラスに届けば大成功。

    すべて落ちた場合は、
    公立中学へ進学し高校受験で新たな道を探る。

    この前提を長男とも共有し、
    他校は受けず一本受験という判断になりました。
    「この学校がいい」という長男の希望もありました。
    学校見学や説明会に参加して長男のなかでその気持ちが強くなっていました。

    受験直前の1週間

    直前期は、
    新しいことは一切しませんでした。

    頻出漢字。
    計算問題。

    負荷の軽い確認だけ。

    重視したのは体調です。

    同じ学校を連日受けるため、
    昼は外でリラックスできる場所を確保しました。

    学校近くの繁華街の漫画喫茶で
    広い個室をとって、持ち込んだご飯を食べ、
    私は特に何も言わず、
    長男の好きなように過ごさせました。
    昼はリラックスと割り切りました。

    復習をさせたい。
    1問でも多く取らせたい気持ちはありましたが、
    緊張を持続させない。
    切り替えの時間をつくる。
    そちらを優先させた形です。

    試験当日の家庭ルール

    当日の会話については、
    妻と事前に決めていました。

    どんな問題が出たかは聞く。
    でも、出来は聞かない。

    本人が話さない限り、
    踏み込まない。

    責めない。
    無理に励まさない。

    とにかく、
    次の日を迎えられる精神状態をつくる。

    それだけを共有していました。

    1日目終了後の違和感

    1日目の午前・午後の試験を終えた長男は、
    明らかに表情が暗く、
    口数も少ない状態でした。

    しばらくしてから、
    ぽつぽつと話し始めます。

    国語の説明文に時間を取られ、
    物語文が手薄になったこと。

    算数や理科で、
    苦手単元がそのまま出たこと。

    「できなかった」

    本人がそう言いました。

    その夜の不合格

    1日目午前の結果は、
    その日の夜に発表され、
    不合格でした。

    午後の手応えも含め、
    合格は厳しそうだと、
    家族全員が感じていました。

    「今日は今日。明日に切り替えよう」

    言葉にはしましたが、
    家の空気はかなり重かったと思います。

    ただ、
    振り返りや復習はしませんでした。

    風呂に入り、
    早く寝る。

    切り替えだけに集中しました。

    2日目の朝

    2日目の長男は、
    前日よりも表情が明るく、
    落ち着いていました。

    無理に励ましたわけではありません。

    ただ、
    前日の空気を引きずらないように、
    家庭全体で平静を保つことだけを意識していました。

    合格

    結果として、
    2日目に受験した下位クラスで、
    合格となりました。

    上位クラスはすべて不合格。

    目標としていたラインに、
    ぎりぎり届いた形です。

    倍率の怖さ

    出願状況と過去傾向から見て、
    倍率は5〜10倍程度。

    この数字を見たとき、
    数点の間に、
    受験者が密集しているだろうという怖さを感じました。

    過去問でも、
    合格ボーダーよりやや上。

    確実と言える手応えは、
    最後までありませんでした。

    層の読み違いという反省

    中堅校とはいえ、

    上位校志望で落ちた層
    滑り止め層
    上位校から最後に方針転換した層
    チャレンジ層
    の受験生が混ざります。

    偏差値帯のラベルだけでなく、
    どういう学力層が受けに来るのか。

    そこをもっと分析しておくべきだった、
    という反省が残っています。

    一本受験は正しかったのか

    結果としては合格でした。

    ただ、
    この戦略が正しかったかどうかは、
    いまでも断定できません。

    すべて落ちていた場合、
    長男は高校受験に向かえたのか。

    1日目の落ち込みを見る限り、
    自信を大きく失っていた可能性もあります。

    お守り校を持たなかった反省

    もう一つの反省は、
    いわゆる「お守り校」を受けなかったことです。

    志望校が、
    下限であり上限でもあった。
    お守り校に位置する学校の見学はしていませんでした。

    不合格が続いた場合、
    途中出願する学校すら、
    探せない状態でした。

    「どこかに受かった」という安心感を、
    持たせられなかったこと。

    親の判断として反省が残っています。

    合格後の現在

    合格後、
    安堵感から一時的に勉強は緩みました。
    3年間やってきた後なので仕方ない部分だと思います。

    ただ、
    個別指導は継続しています。

    これからは、

    英語
    数学

    大学受験を見据えた積み上げ。

    「ついていけない」を避けるため、
    基礎からの構築を始めています。

    まとめに代えて

    第一志望に合格しました。

    達成感よりも、
    安堵感そして反省のほうが大きかったように思います。

    戦略が正しかったのか。
    一本化は妥当だったのか。

    それでも、
    ここまで積み重ねてきた判断が、
    一つの着地を迎えたことは確かです。

    合否が出たことで、
    気持ちはいったん落ち着きました。

    ただ、入学金の振り込みをしているときに
    現実が戻ってきた感覚がありました。

    お金について。

    中学受験の期間中、
    塾代や講習費は払っていました。
    でも、総額を冷静に数える余裕は、ほとんどありませんでした。

    次の記事からは、
    中学受験にかかった費用を、できるだけ事実として整理していきます。
    まずは、総額を数え直すところから始めます。

    ▼ 次記事
    中学受験にかかった総額|あとから全体像を数え直した話

  • 受験直前期にやらなくてよかったこと|「新しいこと」を手放した判断

    受験直前期にやらなくてよかったこと|「新しいこと」を手放した判断

    目についた「まだ足りないところ」

    小6の1月に入り、
    受験まで残り1か月を切った頃。

    この時期になっても、
    「まだ足りないところ」が目についていました。

    もう少しで手の届きそうなところまで来ている。
    だから、少しでも穴を埋めたい。
    そんな気持ちが、
    自然と湧いてきていたのだと思います。

    算数の「弱点」が、はっきり見えていた

    家で解いていた問題集を通して、
    算数の苦手な部分は、
    かなりはっきりしていました。

    年齢算。
    植木算。
    流水算。

    それぞれのやや複雑で応用的な問題です。
    式を立てるところで止まってしまう。

    「ここが取れたら、もう少し楽になるのに」
    そう思って、
    家で説明をしながら一緒に解こうとしました。

    どうしても越えられないところがあった

    ただ、
    何度説明しても、
    どうしても腑に落ちない部分がありました。

    家で問題を解くときは
    「どうやって計算したのか」
    を説明してもらうことにしていました。

    1問解けても、
    少し形が変わると、
    また最初に戻り、どうしても説明できなくなってしまう。

    この時期になっても、
    「理解の途中」に留まっている内容を
    無理に引き上げようとしていたのだと思います。

    振り返ると、
    ここが一つの分かれ目でした。

    「捨てる」という選択肢を、取ってもよかった

    いま思うのは、
    ここまで来て苦手なもの、
    特に算数の応用的な部分については、
    思い切って「捨てる」という判断を
    してもよかったのではないか、ということです。

    それよりも、
    すでに
    「これは取れる」
    「これは安定している」と判断できる問題を、
    何度も解いて、確実に点にする。

    その手応えを、
    もっと長男に持たせてあげたかった。

    受験直前期の算数では、
    新しいことをしない。
    広げない。
    深追いしない。

    それが、
    一番大事だったように思います。

    他の教科は、「確認」に徹していた

    理科と社会については、
    この時期、
    新しい知識を増やすことはほとんどしませんでした。

    間違えた問題を見返し、
    「ああ、これはそうだったな」と
    思い出す程度。
    社会の時事問題は長男が好きだったということもあって
    一緒に新聞を読んだり、
    問題を出したりしていました。
    これは息抜きにもなったと感じています。

    国語も、
    読解の型を新しく覚えることはせず、
    文章を読む感覚を保つことだけを
    意識していました。
    漢字は最後に、
    頻出漢字のうち間違えたところだけ押さえることをしました。

    どの教科も、
    「できないことを減らす」より
    「できることを落とさない」。

    その比重が、
    自然と大きくなっていた気がします。

    不安は消えなかったが、方向は定まっていた

    この時期になっても、
    不安がなくなったわけではありません。

    「本当にこれで足りるのか」
    「もっとやるべきことがあるのではないか」

    そう思う瞬間は、
    何度もありました。

    ただ、
    何をしないか、どこまでやらないか。

    その線引きは、
    以前よりはっきりしていました。

    まとめに代えて

    受験直前期に、
    やらなくてよかったこと。

    それは、
    算数で新しい応用に手を出し続けることでした。

    できない部分を無理に引き上げるより、
    できる部分を確実にする。

    そのほうが、
    結果として心も、学習も、
    安定していたように思います。

    この判断が正しかったのかどうかは、
    結果が出るまで分かりませんでした。

    ただ、
    振り返ったいまは、
    「引き算を選べたこと」自体が、
    直前期に必要な判断だったのだと
    感じています。

    ▼ 次記事(Phase2エクストラ)
    第一志望の合格発表|一本受験で迎えた2日目の結果

  • 中学受験で「勝ち筋」が見えた瞬間|基礎の積み上げが重なった頃

    中学受験で「勝ち筋」が見えた瞬間|基礎の積み上げが重なった頃

    小6の11月に見えた光明

    いま振り返ると、
    「勝ち筋が見えた」と感じたのは、
    小6の11月も終わりに近い頃でした。

    夏季講習はコマ数を2倍ほどにして
    塾が開いている日は毎日、
    授業のほかに2時間ほど塾で自習をしていました。

    夏が終わったからといって、
    すぐに状況が変わったわけではありません。

    それでも、
    この頃から少しずつ、
    これまでとは違う感触が出てきたように思います。

    科目は増えたが、やっていることは変わらなかった

    夏季講習以降、
    個別指導では、
    社会と国語も週に1コマずつ受けるようになりました。

    ただ、
    やっている内容が
    急に高度になったわけではありません。

    どの科目も、
    基本的には基礎の積み上げ。
    知識を整理し、
    取りこぼしてきた部分を埋めていく。

    算数も含めて、
    「ここを伸ばす」というより、
    「ここをわかるようにしていく」という作業が
    続いていました。

    その意味では、
    夏前からやっていることは、
    ほとんど変わっていなかったと思います。

    模試の偏差値は、最後まで大きくは動かなかった

    首都圏模試の結果も、
    この時期になっても変わりませんでした。

    偏差値は、
    相変わらず40〜50をうろうろしている。

    数字だけを見れば、
    「本当にこれで大丈夫なのか」
    という不安が消えることはありませんでした。

    この状態で、
    受験本番を迎えていいのか。
    最後まで、
    その怖さは残っていたと思います。

    過去問で、見え方が変わった

    そんな中で、11月後半から
    志望校と同じ偏差値帯の学校の過去問を
    解き始めました。

    そこで、
    意外な感触がありました。

    難問が解けるわけではありません。
    ただ、
    基礎的な問題が多く、
    「これは取れる」
    という問題が、思った以上にあった。

    結果を見ると、
    合格最低点まで
    あと一歩、
    あるいはすでに届いているということが
    頻発しました。

    模試では見えなかったものが、
    過去問では見える。
    その違いに、
    正直、少し驚きました。

    「基礎はもうだいぶ定着してきた」

    塾とのやり取りの中でも、
    印象に残っている言葉があります。

    「基礎は、もうだいぶ定着してきています」
    「文章問題が出たときにこの引き出しをいかに開けられるかが大事」
    「これからは、いま落としている部分の底上げもしていきましょう」

    その言葉を聞いたとき、
    初めて
    「ここまでやってきたことは無駄ではなかったのかもしれない」
    と思えました。

    基礎を積み上げることが、
    そのまま合格点に近づく道になる。
    その感覚が、
    ようやく具体的になった気がします。

    勝ち筋は、確信ではなく「見通し」だった

    この時点でも、
    「もう安心だ」と思えたわけではありません。

    不安は残っていましたし、
    最後まで
    「届かないかもしれない」という気持ちは
    消えませんでした。

    ただ、
    闇雲に怖がっている状態ではなくなっていた。

    基礎を落とさず、
    いま弱い部分を一つずつ埋めていく。
    その延長線上に合格点が見える。

    それが、
    この時期に感じた
    「勝ち筋」だったのだと思います。

    まとめに代えて

    中学受験で
    勝ち筋が見えた瞬間は、
    何かが劇的に変わった瞬間ではありませんでした。

    模試の偏差値は動かない。
    不安も消えない。

    それでも、
    過去問で手応えが出始め、
    塾からも
    「あと一歩」という言葉をもらえた。

    基礎を積み上げることが、
    本当に意味のある作業だったと
    実感できたタイミングでした。

    次の記事では、
    受験直前期に入り、
    「これはやらなくてよかった」と
    後から思えたことについて書きます。

    ▼ 次記事
    受験直前期にやらなくてよかったこと|「新しいこと」を手放した判断


    このとき見えていた勝ち筋が、
    実際の入試結果にどうつながったのか。
    その着地は、Phase2エクストラで整理しています。

    ▼ 第一志望の合格発表

  • 成績が伸び始めたときの家庭の変化|焦りが少しずつ薄れていった頃

    成績が伸び始めたときの家庭の変化|焦りが少しずつ薄れていった頃

    数字の変化はほとんどないが

    志望校のラインが固まってから、
    すぐに成績が跳ね上がったわけではありません。

    模試の結果も、
    数字だけを見れば
    変化はほとんどありませんでした。

    それでも、
    家庭の中の空気は、
    少しずつ変わっていったように思います。

    振り返ると、
    成績が「伸び始めた」と感じた背景には、
    点数より先に起きていた変化がありました。

    数字を追い詰めなくなっていた

    以前は、
    模試の結果を見るたびに、
    「どれだけ足りないか」
    とにかく算数も国語も理科も社会も
    あと何点足りないかを指摘してしまう。

    志望校が定まっていなかった頃は、
    数字が判断そのものになっていたのだと思います。

    志望校のラインが落ち着いてからは、
    数字の見方が変わりました。

    合格判定よりも、
    どの単元が取れていて、どこがまだ弱いのか。

    「足りない」ではなく「途中」として見る。
    その距離感が、自然と生まれていました。

    会話の内容が変わっていった

    家庭での会話も、
    少しずつ変わっていきました。

    以前は、
    「もっとやらないと」
    「それで次の模試で点数とれるの」
    そんな言葉が多かった気がします。

    この頃からは、
    「どこがわかるようになったのか」
    「いまはどのあたりをやっているのか」
    話題の中心が、
    結果ではなく過程に寄っていきました。

    長男自身も、
    「できなかった」より
    「ここは前よりわかるようになった」
    という言い方をすることが
    増えていったように思います。

    学習のリズムが崩れにくくなった

    成績の変化を感じ始めた頃、
    学習量は集団塾で行き詰まっていたころに比べれば
    少ない状況でした。

    けれど、アベレージとしては
    その頃よりやっている。
    投げ出す日が減ったからです。

    個別指導と家庭学習の役割が分かれ、
    「今日はこれだけやればいい」
    という見通しが
    持てるようになっていました。

    結果として、
    勉強が生活の中に収まっていったように感じます。

    模試の結果に、少しだけ違う反応が出た

    しばらくして、
    模試の結果にも、
    小さな変化が出始めました。

    苦手だった分野でも解ける問題が出てきた。
    大問があれば
    応用は解けないけれど、最初の基本問題はなんとか解ける。

    それを見て、少しだけ
    「伸びてきた」と感じました。

    数字そのものより、
    なにも解けないという状況からの変化が
    安心材料だったように思います。

    焦りが、前に出なくなっていた

    この頃には、
    焦りが完全に消えたわけではありません。

    ただ、
    常に前面に出てくるものでは
    なくなっていました。

    「不安だから動く」ではなく、
    「やることが決まっているから続ける」。

    その違いは、
    想像以上に大きかったと思います。

    成績が伸び始めたという感覚は、
    数字の変化というより、
    この心の位置の変化から
    生まれていたのかもしれません。

    まとめに代えて

    成績が伸び始めたとき、
    最初に変わったのは、家庭の空気でした。

    志望校が定まり、
    やるべきことが見え、
    数字に追い立てられなくなった。

    その結果として、
    学習のリズムが整い、
    模試の結果にささやかですが変化が見えた。

    派手ではありません。

    ただ、
    あとから振り返ると、
    確かに「分岐点」だったと
    思える時期でした。

    次の記事では、
    この流れの中で、
    中学受験で「勝ち筋」が見えたと感じた瞬間について書きます。

    ▼ 次記事
    中学受験で「勝ち筋」が見えた瞬間|基礎の積み上げが重なった頃

  • 偏差値より重視したポイント|進路としての「大学」が見えた学校

    偏差値より重視したポイント|進路としての「大学」が見えた学校

    偏差値を見るのはやめたわけではないが

    志望校を
    「実現可能なライン」に置き直してから、
    学校の見方は、さらに変わっていきました。

    偏差値を見ることを
    やめたわけではありません。
    ただ、
    それが判断の中心に
    居座ることはなくなっていました。

    では、
    最終的に何を重視するようになったのか。
    振り返ってみると、
    一番大きかったのは
    「その先が想像できるかどうか」
    だったように思います。

    中学受験を「大学までの途中」として考え始めた

    この頃から、
    中学受験を
    それ単体の勝負としてではなく、
    大学まで続く道の一つの区切りとして
    考えるようになっていました。

    偏差値の高い学校に入ることが
    ゴールなのではなく、
    6年間をどう使えるか。
    その先に、
    どんな選択肢が残るのか。

    そう考えると、
    学校を見る視点も
    自然と変わっていきました。

    進学実績の「高さ」より「厚み」が気になった

    進学実績についても、
    見方が変わっていました。

    最難関大学への合格者数を
    前面に出すかどうかよりも、
    どのあたりの大学に
    多くの生徒が進んでいるのか。

    それぞれの家庭で違いがあると思いますが、
    我が家では
    GMARCHあたりが
    一つのボリュームゾーンとして
    見えていることに魅力を感じました。

    それは、
    一部の突出した結果ではなく、
    多くの生徒が
    6年間の積み上げの中で
    到達している結果だと
    感じられました。

    「中堅校でも、ここから先を伸ばせる余地がある」
    そう思えたことは、
    大きなポイントでした。

    高校以降の学び方が見えていたこと

    もう一つ、
    印象に残っているのは、
    大学受験を見据えた
    指導の仕組みでした。

    高校段階で、
    外部の予備校と連携した指導を受けられる。
    必要に応じて、
    学校の外のリソースも
    使えるようになっている。

    学校の中だけで
    すべてを完結させるのではなく、
    状況に応じて学び方を選べる余地がある。

    その柔らかさが、
    これから先の6年間を考えたときに、
    現実的に感じられました。

    学校生活を「楽しめる」イメージがあった

    勉強以外の部分も、
    無視できませんでした。

    部活動や行事を含めて、
    長男が
    学校生活そのものを
    楽しんでいる姿が想像できたかどうか。

    説明会や話を聞く中で、
    「ここなら、勉強だけで追い詰められることはなさそうだ」
    そんな感覚がありました。

    受験で疲れてきた時期だったからこそ、
    この点は思っていた以上に
    大きかったのかもしれません。

    偏差値は、最後の確認事項になっていた

    こうして振り返ると、
    偏差値は
    完全に無視したわけではありません。

    ただ、
    最初に見るものではなく、
    最後に大きなズレがないかを
    確認するための指標になっていました。

    進学実績の厚み。
    高校以降の学び方。
    学校生活のイメージ。

    それらを重ねた上で、
    「この偏差値帯なら、無理はない」
    そう確認する。

    偏差値の位置づけが、
    いつの間にか変わっていたのだと思います。

    まとめに代えて

    偏差値より重視したポイントは、
    一言で言えば、
    「その先まで含めて無理なく続けられるか」
    でした。

    中学受験をゴールにしない。
    6年間の時間をどう使えるかを見る。

    そう考えたとき、
    自然と残った学校がありました。

    この選び方が
    正しかったのかどうかは、
    いまでもわかりません。

    ただ、
    少なくとも焦りや背伸びではなく、
    前を向いて選べた。

    それは、
    大きな変化だったように思います。

    次の記事では、
    こうして判断軸が定まったあと、
    成績や家庭の空気に
    どんな変化が出てきたのかについて
    書いていきます。

    ▼ 次記事
    成績が伸び始めたときの家庭の変化|焦りが少しずつ薄れていった頃

  • 志望校を最終決定したプロセス|実現可能なラインが言葉になったとき

    志望校を最終決定したプロセス|実現可能なラインが言葉になったとき

    「上を目指す」ことよりも「どこなら向き合えるか」

    小6の夏前、
    志望校についての考え方は、
    すでに大きく変わっていました。

    偏差値65以上の中学、大学附属中といった
    「上を目指す」ことよりも、
    「どこなら向き合えるか」を考える。
    その感覚は、
    これまで積み重なった模試の結果を前に
    私たちの中に芽生えていました。

    この時期にやっていたのは、
    志望校を新しく決めることではありません。
    頭の中にあったラインを、
    現実に合わせて固定していく作業でした。

    個別指導で積み上がってきた「基礎」という手応え

    個別指導に切り替えてから、
    算数を中心に、
    基礎が少しずつ積み上がってきている実感はありました。

    以前のように、
    わからないまま置き去りになる単元は減り、
    「ここは理解できている」
    「ここはまだ弱い」
    その輪郭が、はっきりしてきていました。

    塾との面談でも、
    同じ認識が共有されていました。

    「いまは基礎と解き方を頭に入れているところ」
    「それをうまく使いこなすことができれば殻を破れる」
    という言葉がありました。

    今の学習ペースであれば、
    基礎を中心とした出題の学校であれば、
    十分に勝負できる可能性がある。

    国語と算数の2科目受験。
    あるいは、
    理科・社会を含めた4科目受験でも、
    基礎重視の学校であれば対応できる。

    そうした学校像が、
    具体的な言葉として出てくるようになっていました。

    「それ以上」は、夏以降に判断するという整理

    一方で、
    それ以上の偏差値帯の学校については、
    はっきりとした線引きもありました。

    応用や難問を前提とする学校については、
    いま無理に判断する必要はない。
    夏以降の学習の積み上げを見てから、
    改めて考えればいい。

    塾からそう言われたとき、
    不思議と、
    大きな抵抗はありませんでした。

    それは、
    上を完全に諦めたということではなく、
    「判断する時期を先送りにした」
    という感覚に近かったと思います。

    この夏前の段階では、
    無理に広げず、
    いま積み上がっている基礎が
    そのまま生きる学校を
    志望校の中心に置く。

    その整理が、
    ようやく腑に落ちました。

    「無理のなさ」が言葉になった

    その時期までに訪ねた
    中堅校の説明会で感じていた
    「無理がない」という感覚。

    極端な背伸びをしなくても、
    6年間を過ごす姿が思い描ける。

    その感覚が、
    この時期、
    塾とのすり合わせを通じて
    「実現可能なライン」という言葉に置き換わっていきました。

    妥協ではない。
    逃げでもない。

    いまの成績、
    いまの学習ペース、
    そして長男の様子。

    それらをまとめて見たときに、
    大きな歪みが出ない位置。

    志望校は、
    その位置に置くものなのだと、
    ようやく整理できた気がします。

    「決めた」というより「動かさなくなった」

    この頃には、
    志望校について、
    あれこれ揺れ動くことは少なくなっていました。

    強い確信があったわけではありません。
    ただ、
    「ここから大きく動かす必要はない」
    そう感じられる位置に、
    自然と落ち着いていました。

    志望校を
    最終的に決めた、というよりも、
    ここに置いたラインを
    動かさなくなった。

    それが、
    この時期の実感に近いと思います。

    まとめに代えて

    志望校を最終決定したプロセスは、
    一つの決断というより、
    調整と確認の積み重ねでした。

    基礎が積み上がってきたこと。
    その基礎が生きる出題の学校があること。
    それ以上は、夏以降に判断すればいいという整理。

    それらがそろったとき、
    「実現可能なライン」は、
    ようやく揺れなくなりました。

    次の記事では、
    志望校を「実現可能なライン」に置いたあと、
    偏差値そのものよりも、
    どんな点を重視して学校を見ていくようになったのか。
    最終的な判断につながった視点について書きます。

    ▼ 次記事
    偏差値より重視したポイント|進路としての「大学」が見えた学校

  • 小6の夏に一番焦った理由|志望校との距離を意識し始めた頃

    小6の夏に一番焦った理由|志望校との距離を意識し始めた頃

    志望校のイメージが揺れて

    家庭学習のやり方を整え始めた頃、
    気持ちが落ち着いたかと言われると、そうではありませんでした。

    やるべきことは見えてきた。
    土台を作る時間だということも、頭ではわかっている。
    それでも、小6の夏前に入ったあたりから、
    焦りが大きくなるような感覚がありました。

    この時期は、志望校のイメージが揺れ始めた時期とも重なります。
    上を見ていた頃の感触が薄れ、
    現実的なラインを意識せざるを得なくなる。
    その変化が、焦りの輪郭をはっきりさせていったように思います。

    算数で見えてきた「時間の足りなさ」

    算数については、土台を作っている実感がありました。
    以前のように、わからないまま進んで崩れていく感じは減っている。
    個別指導で基礎を固め直している意味も、納得できていました。

    ただ、首都圏模試を受けるたびに、
    結果が思うように出ないことが続きました。

    点数そのものよりも、
    解ける問題と解けない問題の境目が、くっきりしてしまう。
    少しひねられただけで手が止まるところが、まだまだ多い。
    そういう現実が、何度も目に入ってきました。

    このペースで基礎を積み上げていったとして、
    応用や難問に本格的に取り組む時間が、どこに残るのか。
    その見通しが立たないことが、じわじわ怖くなっていきました。

    そして、難度の高い試験がある学校に対しては、
    「届く・届かない」以前に、
    そこへ向かうための時間が見えない。
    そんな感覚になっていったのを覚えています。

    社会の「公民ゼロ」が刺さってきた

    焦りは算数だけではありませんでした。
    社会のほうが、別の意味で急に現実味を持って迫ってきました。

    地理と歴史は、5年生までに一通り触れてはいます。
    完璧に覚えているわけではないにせよ、
    見覚えのある言葉や流れは残っていました。

    一方で、公民の要素については、ほぼ知識がゼロでした。
    模試で公民の分野が出たとき、
    「なにこれ」
    「全然知らない」
    公民にさわっていなかったことに気づいていなかった。
    それを夏前のいま知った。
    急に怖くなりました。

    「このまま夏に入っていいのか」
    焦りの中に、そんな問いが混ざり始めたのがこの頃です。

    塾と「実現できるライン」をすり合わせ始めた

    この時期から、塾とも志望校について話す機会が増えていきました。
    以前のように、ふわっとした希望を置くのではなく、
    今の理解度や模試の結果を踏まえて、
    「実現できるレベル」をすり合わせるようになっていきました。

    そこで話題になるのは、
    どこが第一志望か、という言い方よりも、
    どんな出題の学校なら積み上げが届きそうか、という感覚でした。

    難問や奇問が前提の学校に向けて、
    応用の訓練を重ねていく道筋が見えない。
    それなら、基礎を固めたうえで、
    少し応用が乗るくらいの出題で勝負できる学校を考えたほうがいい。
    そういう話を、少しずつ、現実の言葉として交わすようになっていきました。

    その過程で、志望校のイメージが、
    中堅校へと置き直されていったのだと思います。

    まとめに代えて

    小6の夏前に一番焦った理由は、
    勉強法が分からないからではありませんでした。

    土台を作っている手応えはあるのに、
    模試の結果がついてこない。
    このまま進んだ先に、
    応用や難問に向き合う時間が残るのかが見えない。

    さらに、社会では公民がほぼ手つかずで、
    焦りの種類が増えていく。

    その結果、
    志望校との距離を、はっきり意識せざるを得なくなりました。
    この距離感が、次の段階の話につながっていきます。

    次の記事では、
    この夏前の焦りを抱えたまま、
    志望校をどう最終決定していったのか、
    そのプロセスを書きます。

    ▼ 次記事
    志望校を最終決定したプロセス|実現可能なラインが言葉になったとき

  • 家庭学習のやり方を変えた話|塾以外でできることを探し始めた頃

    家庭学習のやり方を変えた話|塾以外でできることを探し始めた頃

    気がつけば小6の夏前に

    個別指導に切り替えてから、
    しばらくは塾の進め方に身を委ねる形で過ごしていました。

    気がつけば、
    個別指導を始めてから4か月ほどが経ち、
    季節も小6の夏前に差しかかっていました。

    「個別指導は続けるとして、
    家庭ではなにができるだろうか」
    そんなことを考えていた時期だったと思います。

    算数は、基礎をもう一段下から

    まず手を入れたのは、算数でした。

    個別指導では、
    それまでにつまずいてきた単元を中心に、
    基礎を丁寧に固め直してもらっていました。

    その流れを見ていて、
    家庭でも同じ方向を向いたほうがいいのではないか、
    そう感じるようになりました。

    そこで、
    基礎を固めることに特化した問題集を一冊選び、
    家庭学習ではそれを進めることにしました。

    それ以外は触らない。
    この時点では、
    応用問題や難問に取り組むことは考えていませんでした。
    それは、
    できないから避けたというよりも、
    扱う段階ではないと感じていたからです。

    ただし、
    一つだけ強く意識していたのは、
    個別指導の進みを邪魔しないことでした。

    家庭で課す勉強が増えたことで、
    塾での集中力が落ちたり、
    負担が大きくなったりしないよう、
    量やペースはかなり控えめにしていました。
    できるときに、できる範囲で。
    それを基本としていました。

    国語は、無理に広げない

    国語についても、
    算数と同じように考えていました。

    新しいことを増やすよりも、
    いま向き合っている文章に、
    丁寧に取り組めているかどうか。

    家庭では、
    無理に演習量を増やすことはせず、
    どちらかと言えば「作業」である
    漢字や四字熟語など言葉の問題だけやることにしました。

    こちらもコツコツとやれるときに
    少量ずつ覚えていくことを重視していました。

    理科は、塾に任せることにした

    この頃には
    個別指導では理科の授業も始まっていました。

    理科については、
    家庭であれこれ手を出さず、
    塾に一切を任せる方針をとることにしました。

    算数との関連もあり、
    知識の整理や理解の順序を、
    自分たちで判断するのは難しいと感じていたからです。

    家庭では、
    「今日は何をやったのか」を聞く程度で、
    復習や先取りは、
    特に意識して行いませんでした。

    社会は、思い出す程度に

    社会については、
    以前、集団塾で使っていたテキストを、
    時折見返すくらいにしていました。

    新しく覚え直すというよりも、
    一度は触れた内容を、
    書きながら思い出す。

    それ以上のことは、
    この時期には求めていませんでした。

    まとめに代えて

    この頃の家庭学習は、
    「増やす」ことよりも、
    「重ねすぎない」ことを意識していました。

    塾で進んでいる内容と、
    家庭でやっていることが、
    同じ方向を向いているかどうか。

    その一点だけを見ながら、
    少しずつ形を整えていった、
    そんな時期だったように思います。

    まだ、
    これで正しいのかどうかは分かりませんでした。
    ただ、
    家庭なりのやり方を決めた、
    その一歩目でした。

    次の記事では、
    こうした取り組みを続ける中で、
    小6の夏に一番焦った理由について書きます。

    ▼ 次記事
    小6の夏に一番焦った理由|志望校との距離を意識し始めた頃

  • 個別指導で見落としていた点|あとから気づいた小さなズレ

    個別指導で見落としていた点|あとから気づいた小さなズレ

    安心感の半面で

    個別指導に切り替えてから、
    何かが崩れた、という感覚はありませんでした。

    むしろ、
    一つひとつを丁寧に見てもらえている安心感はあり、
    「これでいい」と思いながら進んでいた時期のほうが長かったと思います。

    ただ、時間が経つにつれ、
    「この部分は見落としていたな」と
    あとから気づいた点はいくつかありました。

    今回は、
    個別指導そのものを否定する話ではなく、
    当時は気づきにくかった小さなズレについて振り返ります。

    相性は、選べるものではなかった

    通っていたのは、
    小規模な塾でした。

    先生の人数も限られていて、
    「この中から選ぶ」というよりは、
    「この先生にお願いする」という形に近かったように思います。

    当時は、
    それを特に問題だとは感じていませんでした。
    個別指導なのだから、
    合わなければ調整してもらえるだろう、
    そんな気持ちもありました。

    ただ、いま振り返ると、
    相性の部分は、
    ある意味で賭けに近かったのだと思います。

    良くも悪くも、
    他と比べようがない。
    「合っているのかどうか」を測っても、
    どこまで調整してもらえるかわからなかった。

    合っていると思いたい部分もあり、
    実際にこちらから調整を申し出たことはありませんでした。

    外の世界が見えなくなっていた

    個別指導に切り替えてから、
    他の受験生の様子が、
    ほとんど見えなくなりました。

    集団塾のように、
    同じ教室で多くの子と学ぶわけではない。
    休み時間に、
    志望校や模試の話を聞くこともない。

    その結果、
    多くの子がどのあたりを目指していて、
    どのくらいの進度で進んでいるのか。
    そうした外の情報が、
    自然と入ってこなくなっていました。

    落ち着いて学べる一方で、
    自分たちの立ち位置は
    見えにくくなっていた。
    それは、後になって
    少し不安につながる要素だったように思います。

    現在地が測れないもどかしさ

    もう一つ、
    はっきりとデメリットと感じたのは、
    模試との距離感です。

    私たちの選んだ個別指導は、
    模試に合わせて進度が組まれているわけではありませんでした。
    日々の理解を優先するため、
    それ自体は自然なことです。
    また、塾独自の模試もありません。

    だから、塾外である模試を受けたあと、
    結果をどう受け止めればいいのか。
    その整理が、
    とても難しくなっていました。

    塾の中での手応えと、
    模試の結果は、
    必ずしもつながらない。

    「いま、どの位置にいるのか」
    「届きそうなのか、まだ遠いのか」
    その現在地が、
    はっきり測れない歯がゆさを、
    何度か感じていました。

    まとめに代えて

    これらは、
    個別指導を選んだからこそ感じた、
    小さなズレだったのだと思います。

    先生との相性を選びきれなかったこと。
    外の世界が見えにくくなっていたこと。
    模試と日々の学習が、
    うまく結びつかなかったこと。

    当時は、
    それを大きなズレとは思っていませんでした。
    ただ、
    「少し見落としていた点があった」
    その程度の感覚です。

    このズレに気づいたことが、
    その後の取り組み方を考える
    きっかけになっていきました。

    次の記事では、
    こうした小さなズレを感じながら、
    家庭学習のやり方を変えてみた話について書きます。

    ▼ 次記事
    家庭学習のやり方を変えた話|塾以外でできることを探し始めた頃

  • 個別指導の先生選びで重視した点|相性が見えにくかった理由

    個別指導の先生選びで重視した点|相性が見えにくかった理由

    近くなる先生との距離

    個別指導に切り替えると決めたあと、
    次に悩んだのは、
    「どの先生にお願いするか」という点でした。

    集団塾とは違い、
    個別指導では、
    先生との距離が一気に近くなります。
    だからこそ、
    相性の影響も大きくなる。

    ただ当時は、
    何を基準に選べばいいのか、
    正直よく分かっていませんでした。

    「教え方がうまい」だけでは測れなかった

    最初に頭に浮かんだのは、
    「経験豊富な先生」
    「教え方がうまい先生がいい」
    という考えでした。

    個別指導を選んでいるとき
    ネットでは
    プロしかいない
    学生やアルバイトは心配
    という言葉が並んでいました。

    うちもその前提はありました。

    経験豊富な先生であれば
    引き出しから、
    長男にあった教え方や解き方を出してくれるのではないか。
    そんな思いです。

    ただ、実際に授業を見聞きする中で、
    それだけでは足りない気がしてきました。

    そもそも親が隣について
    授業を聞けるわけではないので、
    どこまで教え方がうまいかはわかりません。

    長男も毎回理解して帰ってくるわけではないので、
    こちらには判断がつかない。

    「わかったふり」をしたまま、
    時間だけが過ぎていく。
    そんな場面が、
    頭をよぎることもありました。

    子どもが言葉を出せる空気かどうか

    個別指導では、
    子どもが言葉を出せるかどうかが、
    大事だと感じていました。

    先生が問いかけたときに、
    答えがすぐ返ってこなくても待てるか。
    考えている途中の、
    不完全な言葉を受け止めてくれるか。

    長男は、
    自分の考えをまとめるのに時間がかかるタイプでした。
    だからこそ、
    沈黙が許される空気かどうかは、
    気になっていました。

    厳しさが必要なのか、安心感が必要なのか

    先生のスタンスについても、
    迷いはありました。

    はっきり指摘してくれる先生のほうがいいのか。
    それとも、
    まず安心させてくれる先生のほうが合うのか。

    当時は、
    どちらが正解なのか分かりませんでした。

    ただ、
    集団塾で追われ続けていた時期を思い返すと、
    「これ以上、追い立てられないこと」のほうが、
    今は大事なのではないか。
    そんな感覚は、
    どこかにありました。

    親が見て安心できるかどうか

    もう一つ、
    親が見ていて安心できるかどうかも、
    気になっていました。

    先生との関係が、
    緊張や恐怖ではなく、
    会話として成り立っているかどうか。

    それを確認しながら、
    「この先生なら大丈夫かもしれない」と
    感じていったように思います。

    相性は、すぐにはわからなかった

    ただ、
    こうして振り返って言葉にすると、
    いかにもわかって選んだように見えるかもしれません。

    実際には、
    最初から相性がはっきり見えたわけではありませんでした。

    何回か授業を重ねて、
    少しずつ様子が分かってきます。

    時折ある面談でも
    塾長や担当の先生が
    長男の塾での様子やどう教えているか
    を私にも説明してくれました。
    それが長男の受け止めと一致しているかどうか。

    そうした過程で、
    「違和感が減っているかどうか」を
    見ていたように思います。

    相性は、
    チェック項目で判断できるものではなく、
    時間の中で、
    にじむように見えてくるものだったのかもしれません。

    まとめに代えて

    個別指導の先生選びは、
    正解を探す作業というより、
    違和感が大きくならないかを
    確かめ続ける時間だったように思います。

    当時は、
    それを「選び方」として
    整理できていたわけではありません。

    ただ、
    子どもが言葉を出せているか。
    授業のあと、
    家庭の空気が重くなっていないか。

    そんな小さな感触を、
    一つずつ確かめながら、
    進んでいたのだと思います。

    次の記事では、
    個別指導の見落としていた点について、
    実際に感じた「うまくいかなかった場面」を
    振り返ります。

    ▼ 次記事
    個別指導で見落としていた点|あとから気づいた小さなズレ