投稿者: fpksc131

  • 周囲に志望校変更を相談できなかった理由|せっかくの判断が

    周囲に志望校変更を相談できなかった理由|せっかくの判断が

    積極的には言わなかった

    小5の途中で、
    志望校を大学附属へ切り替えました。

    自分の中では、
    それなりに考え抜いた判断でした。

    それでも、
    その判断を周囲に相談できたかというと、
    そうではありません。

    むしろ、
    積極的に言わなかった。
    というほうが、
    近かったと思います。

    「早すぎる」が怖かった

    志望校を切り替えた理由は、
    自分の中では
    整理したつもりでした。

    「もしかしたらもっと上に」という可能性より、
    現実を見ることにした。
    家庭全体で考えた判断。

    「まだ小5だよ」
    「早すぎるって」
    「うちはこうしたらうまくいった」

    その判断がこうした言葉で
    またぐらぐらに揺らぐのが怖かったのだと思います。

    同僚や先輩の家庭をみると

    私の勤める会社の先輩は
    多くが子どもたちに中学受験をさせています。

    そしてほとんどが
    難関校に合格して通っています。
    きょうだいで御三家や新御三家に合格している
    とか
    御三家はあきらめたけれど名門校
    とか
    本人自身も有名な中学を出ているとか。

    正直言えば、
    我が家のような状況に置かれた人が見当たらない。
    アドバイスのレベルがあまりに高すぎる。
    子どもの様子が違いすぎる。
    参考にしづらい部分がありました。

    だから言い出しにくい。

    塾の同じクラスの親御さんにも聞きづらい。

    また、塾の先生に相談する機会が
    この時期になかったということもあります。
    常々、「まだ具体的な志望校は決めなくていい」
    と塾の便りにも書いてあり、
    現状と目標とそのギャップを
    相談する気になれなかったということもあります。

    話さないことで、守っていたものもあった

    周囲に言わなかったことで、
    守れていたものも、
    あった気がします。

    ほかの家と比較して
    どうこうと子どもに言わなくて済む。

    そして、
    長男の前で、
    判断を
    不安定に見せないこと。

    話さないことは、
    逃げでもあり、
    同時に
    防御でもありました。

    まとめに代えて

    志望校を切り替えたあと、
    私は、
    その判断を
    外に出すことがほとんどできませんでした。

    相談しなかったのは、
    引け目とか劣等感とか
    そういうことよりも
    同じような悩みを持っている人が周囲におらず、
    相談してもしょうがないという考えがあったと思います。

    そして、
    この「相談できないこと」が、
    次の迷いへと
    つながっていきます。

    次の記事では、
    志望校を切り替えたあとに受け始めた
    模試の話を書きます。

    ▼ 次の記事
    小6から首都圏模試を受け始めた理由|物差しを変えたかった頃

  • 小5途中で志望校を切り替えた判断|現実を見たつもりだった

    小5途中で志望校を切り替えた判断|現実を見たつもりだった

    考え抜いた

    大学附属という選択肢を前にして、
    しばらく迷い続けたあと、
    我が家は、ひとつの方向に
    はっきりと舵を切りました。

    小5の途中、
    夏休みを前に
    志望校を大学附属へ切り替える。

    それは、
    勢いで決めたことでも、
    自然にそうなった結果でもありません。

    当時の私なりに、
    考え抜いたうえでの
    判断でした。

    大学附属を志望校として選ぶと決めた

    この時点で、
    大学附属は
    「候補のひとつ」ではなく、
    明確な志望校になっていました。

    大学までの進路が、
    ある程度、約束されていること。

    6年間を通して、
    受験に縛られすぎず、
    やりたいことに時間を使えること。

    その魅力が、
    私の中では、
    「将来の選択肢が狭まるかもしれない」
    という不安を、
    上回ったのです。

    迷いが消えたわけではありませんが、
    天秤は、
    こちら側に傾いていました。

    無限の可能性より、現実を見ることにした

    当時、
    私がよく考えていたのは、
    「可能性」という言葉でした。

    もっと伸びるかもしれない。
    まだわからない。
    将来は開かれている。

    そう考えることも、
    もちろんできました。

    ただ、
    親の学力も含めて、
    家庭全体で見たとき、
    無限の可能性を追い続ける覚悟が
    本当にあるのか。

    正直に考えると、
    自信はありませんでした。

    だから私は、
    この判断を、
    「現実に即した合理的な選択」だと、
    自分に言い聞かせました。

    高すぎる目標が、重荷になっている気がした

    もうひとつ、
    頭から離れなかったのは、
    長男の様子でした。

    高い目標を掲げているとき、
    どこかで
    苦しそうに見えることがあった。

    努力していないわけではありません。

    ただ、
    目標が遠すぎると、
    「手応えがない」
    「目指す学校のイメージがつかめない」
    という感覚のほうが、
    先に立ってしまうのではないか。

    それなら、
    現実的に可能性のある学校を目指したほうが、
    前向きに
    取り組めるのではないか。

    そう考えるようになっていました。

    「道を狭める判断」になる可能性があると、わかっていて選んだ

    大学附属を選ぶことが、
    道を広げる判断ではないことは、
    分かっていました。

    それでも、
    6年間という時間の中で、
    得られるもののほうが大きい。

    その価値判断を、
    当時の私は、
    受け入れました。

    迷いながらではありますが、
    ここは
    はっきりと
    選んだところです。

    まとめに代えて

    小5の途中で、
    志望校は、
    大学附属へ切り替わりました。

    楽な道を選んだわけでも、
    逃げたわけでもなく、
    現実的で合理的な判断。

    そう整理しなければ、
    前に進めなかった、
    というのが正直なところです。

    この判断が、
    正しかったのかどうかは、
    当時の私には、
    まだ分かっていませんでした。

    ただ、
    ここから先は、
    この前提に立って
    考えていくしかない。

    そう腹をくくった、
    小5の途中でした。

    次の記事では、
    この志望校変更を、
    周囲にどう伝え、
    なぜ言えなかったのかについて
    書いていきます。

    ▼ 次の記事
    周囲に志望校変更を相談できなかった理由|せっかくの判断が

  • 大学附属中の魅力と引き換えに迷ったこと|安心と不安のあいだ

    大学附属中の魅力と引き換えに迷ったこと|安心と不安のあいだ

    まとめて引き受けてくれる存在だが

    前の記事で書いたように、
    大学附属という選択肢は、
    当時の私にとって
    一つの光のようにも見えていました。

    志望校を下げることへの抵抗感。
    大学受験への不安。
    将来への見通しのなさ。

    それらを、
    まとめて受け止めてくれる
    選択肢のように思えたのです。

    そして長男の前向きな反応。

    ただ、
    考えれば考えるほど、
    手放すことになるものも
    少しずつ見えてきました。

    「大学まで決まる」ことへの引っかかり

    大学附属の一番の特徴は、
    大学までの進路が
    見えていることです。

    入学できれば、よほどのことがない限り
    ほぼ系列大学に進むことができる。
    頑張れば学部も選べる。
    それは、
    大きな安心材料でした。

    一方で、
    別の感情も
    同時に生まれていました。

    本当に、
    この時点で
    大学まで決めてしまっていいのか。

    まだ小学生の段階で、
    将来の選択肢を
    狭めてしまうことにはならないのか。

    安心と引き換えに、
    早々にひとつの道を閉じてしまうような
    感覚もありました。

    「受験をしない」ことへの不安

    大学受験をしなくて済む。

    それは、
    確かに魅力でした。
    勉強はする前提ですが、
    受験に縛られず、自分のやりたいことに時間を使える。
    そう思えたのも、正直なところでした。

    でも、
    受験がないということは、
    あまり競争をしない
    ということでもあります。

    努力の基準は、
    どこに置けばいいのか。
    モチベーションは、
    どう保てばいいのか。

    受験という
    明確なゴールがない状態で、
    学び続けられるのか。

    そんな不安も、
    頭を離れませんでした。

    「楽になる」ことへの引っかかり

    正直に言えば、
    大学附属という選択肢には、
    「楽になるのではないか」
    という印象もありました。

    もちろん、
    実際の学校生活が
    楽だという意味ではありません。

    ただ、
    親として、
    険しい道を
    避けているような感覚。
    そこまで親が道を決め、
    平坦にならすようなことをしていいのか。

    そんな問いを、
    無視することはできませんでした。

    安心と不安が、同時に存在していた

    この時期の私の中には、
    二つの感情が
    同時にありました。

    大学附属なら、
    少し楽になるかもしれない。

    でも、
    本当にそれでいいのか。

    この安心感は、
    将来につながるものなのか。
    それとも、
    目をそらしているだけなのか。

    答えは、
    まだ出ていませんでした。

    まとめに代えて

    大学附属という選択肢は、
    当時の私にとって
    救いでもあり、
    新たな迷いの種にもなりました。

    何かを解決するために
    見つけた選択肢が、
    別の問いを連れてくる。

    この時点では、
    まだ
    進むとも戻るとも
    決められていなかった。

    ただ、
    簡単な道ではないことだけは、
    はっきりしていました。

    次の記事では、
    こうした迷いを抱えたまま、
    それでも
    志望校の考え方を
    もう一度組み替えようとした話を書きます。

    ▼ 次の記事
    小5途中で志望校を切り替えた判断|現実ラインを探し始めた頃

  • 大学附属中を実際に見て「ここでいいのでは」と思った瞬間|子どもの反応が背中を押した

    大学附属中を実際に見て「ここでいいのでは」と思った瞬間|子どもの反応が背中を押した

    足を運んで感じたこと

    大学附属という選択肢を
    頭の中で整理し始めたあと、
    私たちは実際に
    いくつかの学校を見に行きました。

    条件や偏差値だけで考えていたときとは違い、
    現地に足を運ぶと、
    考え方が少し変わってくるものです。

    その中に、
    「ここでいいのではないか」
    そう思った学校がありました。

    初めて具体的に「通う姿」を想像した

    校舎を歩き、
    授業中の教室を外から見て、
    広々としたグラウンドを眺め、
    食堂でご飯を食べて、
    学校の一日の流れを聞く。

    特別な出来事が
    あったわけではありません。

    ただ、
    無理がない。
    生徒さんたちも楽しそうに学校生活を送っている。

    そうした感覚が、
    少しずつ積み重なっていきました。

    これまで考えてきた条件とも、
    大きくはずれていない。

    「ここなら」
    という言葉が、
    頭の中に浮かび始めていました。

    子どもの反応が、想像以上に良かった

    何より印象に残っているのは、
    長男の反応でした。

    学校を出たあと、
    特別に興奮していたわけではありません。

    でも、
    表情は悪くなかった。
    否定的な言葉も出なかった。

    「ここ、いいね」
    「通えそう」
    「通学はこういうふうにすればいいよね」

    いつもより口数が多かった。

    それだけで、
    親としては
    十分だったように思います。

    無理をしている様子もない。
    背伸びしている感じもない。

    「ここでいいのではないか」
    という気持ちが、
    一段強くなりました。

    親の中で、決めてしまってもいいという感覚が生まれた

    迷いが消えたわけではありません。

    でも、
    これ以上探し続けなくてもいいのではないか。
    このあたりで
    一度決めてしまってもいいのではないか。

    そんな考えが、
    はっきり形を持ち始めていました。

    条件も大きく外れていない。
    子どもも前向き。
    現実的なラインにも見える。

    「ここで進めば、
    少なくとも破綻はしない」

    そんな確信に近い感覚が、
    確かにありました。

    そのときは、迷いよりも前向きさが勝っていた

    この時点では、
    まだ
    大きな葛藤は表に出てきていませんでした。

    むしろ、
    一つ肩の荷が下りたような気持ち。

    「ようやく
    落ち着ける場所が見えた」

    そんな安堵の方が、
    強かったのだと思います。

    この瞬間、
    私は「ここに決めたら、小6の最後まで子どもと走れるのでは」と
    思っていました。

    まとめに代えて

    大学附属校を見学し、
    子どもの反応も良く、
    親としても納得できそうだと感じた。

    この時期には、
    確かに
    「ここでいいのではないか」
    と思った瞬間がありました。

    まだ、
    迷いが消えていたわけではありません。

    でも、
    判断は
    すぐそこまで来ていた。

    そう言える状態だったと思います。

    次の記事では、
    この「決めよう」という気持ちが
    なぜ、そのまま判断に
    つながらなかったのか。

    安心できそうに見えたからこそ
    生まれてきた
    別の葛藤について書きます。

    ▼ 次の記事
    大学附属中の魅力と引き換えに迷ったこと|安心と不安のあいだ

  • 大学附属中という選択肢を意識し始めた理由|下げたくなかった基準

    大学附属中という選択肢を意識し始めた理由|下げたくなかった基準


    届かないかもしれないという現実

    志望校を下げることへの抵抗感を
    強く抱えていた頃。

    それでも、
    これまで思い描いていた学校に
    届かないかもしれないという現実は
    無視できなくなっていました。

    その中で、
    私の頭に浮かんできたのが、
    大学附属という選択肢でした。

    偏差値は下がるが、基準は下げたくなかった

    大学附属校を考え始めたとき、
    私の中には
    はっきりした前提がありました。

    偏差値を
    これまで見てきた学校より
    下げる必要がある。

    ただ、
    「何でもいいから下げる」というのは違う。

    私が下げたくなかったのは、
    偏差値そのものではなく、
    その先にある基準でした。

    見ていたのは「大学」と「その先」

    当時、
    私が大学附属に惹かれた一番の理由は、
    大学受験をしなくて済む、
    という点でした。

    大学受験の結果で
    将来が大きく左右される不安。

    そのプレッシャーから、
    少し距離を取れるかもしれない。

    それは、
    家庭にとっても、
    長男にとっても
    メリットに見えました。

    加えて、
    私の頭には
    もう一つの基準がありました。

    それは、
    「将来、就職の場面で不利にならないか」
    という点です。

    附属ならどこでもいい、とは思えなかった

    大学附属校であれば、
    どこでも同じ。

    当時の私は、
    そうは考えていませんでした。

    系列大学に進学した先で、
    どんな進路が見えるのか。

    社会に出るときに、
    どの程度の選択肢が残るのか。

    そう考えると、
    大学附属であれば
    どこでもいいわけではない。

    少なくとも、
    社会で一定の評価がすでにある大学に
    つながる附属でなければ、
    自分が求めている安心感は
    得られない。

    そんな感覚を、
    強く持っていました。

    「下げた」のではなく、条件を付け直していた

    結果として、
    私が考え始めていたのは、
    これまでより
    偏差値がやや低い大学附属校でした。

    ただそれは、
    単純に目標を下げた、
    という感覚ではありません。

    偏差値は下がる。
    でも、
    大学受験を回避できること。
    将来の選択肢が
    大きく狭まらないこと。

    その条件を
    満たす学校だけを、
    新たな選択肢として
    見ようとしていた。

    そんな整理の仕方だったように思います。

    まとめに代えて

    大学附属という選択肢を
    意識し始めたのは、
    迷いが深くなったからです。

    これまでとは
    違う角度で
    基準を置き直そうとしていました。

    偏差値を下げることへの抵抗感。
    将来への不安。
    大学受験への怖さ。

    それらを
    一度に解消できる道として、
    大学附属が
    視界に入ってきた。

    この時点では、
    まだ判断ではなく、
    条件を組み替えていただけでした。

    次の記事では、
    大学附属という選択肢を
    頭の中だけで考える段階から一歩進み、
    実際に学校を見に行ったときの話を書きます。

    条件や偏差値では整理できなかった感覚や、
    子どもの反応を前にして、
    「ここでいいのではないか」と
    初めて具体的に思った瞬間についてです。

    ▼ 次の記事
    実際に見て「ここでいいのでは」と思った瞬間|子どもの反応が背中を押した

  • 志望校を下げることへの抵抗感|引き返す怖さ

    志望校を下げることへの抵抗感|引き返す怖さ

    厳しい。でも、気持ちが追いつかない

    前の記事で書いたように、
    「この中学は現実的に厳しいかもしれない」
    という感覚は、
    少しずつはっきりしてきていました。

    それでも、
    すぐに志望校を変える、
    という判断には
    向かえませんでした。

    理由は単純で、
    気持ちが追いついていなかったからです。

    「下げる」という言葉が、重く感じられた

    志望校を見直す、
    という言い方もできます。

    でも当時の私にとっては、
    それは
    「下げる」という言葉とほぼ同じでした。

    目線を落とすこと。
    一度置いた目標から引き返すこと。

    それが、
    とても大きな後退で、取り返しがつかないことのように
    感じていました。

    「下げる」ことでなにが失われるかを考えてしまった

    もしいま、
    志望校を変える。いや、下げたら。

    当時の私には
    志望校を下げれば、
    下げた先の学校が上限になってしまう
    下手をしたら、そこにも届かなくなるのではないか、
    という気持ちがありました。

    高い目標があるからこそ、そこに向かって努力する。
    それは伸びにつながる。
    目標が低くなれば、そこまでの努力はできないのではないか。
    そんなイメージでした。

    いまその判断をしてしまえば、
    これまでの迷いや、
    期待や、
    悩んできた時間、
    長男のこれからの可能性まで失われてしまうような
    気がしていたのだと思います。

    「まだ決めなくていい」という逃げ道

    現実的に厳しいと
    感じていながらも、
    私は
    こんな言葉で
    自分を落ち着かせていました。

    「まだ決めなくていい」
    「もう少し様子を見よう」

    それは、
    間違った判断では
    なかったかもしれません。

    ただ、
    決めない理由が
    現実ではなく、
    気持ちの抵抗だったことも、
    事実だったように思います。

    子どもにどう伝えるか、決められなかった

    もう一つ、
    志望校を下げる判断を
    難しくしていたのは、長男への伝え方でした。

    本人が、
    その学校の名前を
    口にするようになっている。

    そんな状況で、
    「やっぱり無理そう」
    と言っていいのか。

    どれだけ子どものモチベーションに影響するのか。
    それを考えると
    簡単には
    踏み出せませんでした。

    まとめに代えて

    志望校を下げることへの
    抵抗感は、
    単なる見栄や
    プライドだけでは
    なかったと思います。

    そこには、
    これまで積み重ねてきた
    時間や期待、
    これからの可能性も
    含まれていました。

    だからこそ、
    「厳しいかもしれない」と
    感じていても、
    すぐには
    引き返せなかった。

    この時期の私は、
    現実を見ながらも、
    まだ
    その先に進む覚悟を
    持てずにいたのだと思います。

    次の記事では、
    そんな抵抗感を抱えたまま、
    私たちが
    具体的な選択肢として
    意識し始めたものについて書きます。

    ▼ 次の記事
    大学附属という選択肢を意識し始めた理由|下げたくなかった基準

  • 現実的に厳しいと感じ始めたタイミング|距離が見え始めた瞬間

    現実的に厳しいと感じ始めたタイミング|距離が見え始めた瞬間

    親の期待があっても

    前の記事で書いたように、
    私たち親の側には、
    「この中学に行けたら」という
    本音がありました。

    ただ、その気持ちは、
    ある時期から
    少しずつ形を変えていきます。

    期待が消えた、
    というよりも、
    期待と現実のあいだに
    距離があることを
    強く意識するようになったのです。

    数字が、急に重く感じられたわけではない

    小4の頃から続けていた塾の模試。
    小5になると大きく変わる部分があります。
    それは、模試の結果に
    学校選択の目安が表示されるということです。

    模試の偏差値に対して、
    現実的な学校
    やや上の学校
    かなり上の学校がいくつか表示されます。
    これは意識せざるをえませんでした。

    偏差値が、急に大きく下がった、
    ということはありませんでした。

    ただ、
    模試の結果を並べて見たとき、
    その学校の偏差値が高すぎて
    表示すらされないというケースが度々あった。

    「全然届いていない」という事実が、
    動かしにくいものとして
    残るようになってきた。

    そんな印象でした。

    「頑張れば何とかなる」という言葉が、薄れていった

    それまでは、
    「男の子は小6の夏休み以降にぐっと伸びる」
    とか
    「スイッチが入れば強い」
    というどこかで聞いたフレーズに期待していた部分がありました。

    「これから伸びる可能性は大いにある」
    「まだまだ時間がある」
    そう言いながら、
    自分たちを納得させていたと思います。

    でも、
    模試の結果が積み上がれば積み上がるほど、
    「頑張れば何とかなる」という言葉が、
    現実から離れていく。

    そんな感覚でした。

    子どもの様子が、現実を引き寄せてきた

    長男は、
    焦っている様子を
    見せていたわけではありません。
    それも心配な要素のひとつになりました。

    勉強に向かう姿勢や、
    つまずく場面を見ていると、
    埋まらない差が
    あるようにも感じました。

    努力が足りない、
    という話ではありません。

    やり方やペース、理解の仕方。

    そうしたものが、
    想像していた軌道を
    大きくそれてきている。

    そのことが、
    現実を
    引き寄せてきていました。

    期待を手放す準備を、まだしていなかった

    この時点では、
    「この中学は無理だ」と
    決めたわけではありません。

    ただ、
    同じ熱量で
    期待し続けることはとても苦しかった。

    それでも、
    代わりの選択肢を
    考え始めていたわけでもない。

    期待と現実のあいだで、
    立ち止まっていた。

    そんな状態だったと思います。

    まとめに代えて

    現実的に厳しいと感じ始めたのは、
    何か一つの出来事が
    きっかけだったわけではありません。

    一つ一つの事実が
    積み重なった結果でした。

    この時期は、
    期待を捨てたわけでも、
    判断を下したわけでもない。

    ただ、
    これまでと同じ見方では
    進めないかもしれない。

    そのことに、
    ようやく
    気づき始めた段階だったように思います。

    次の記事では、
    「それでも目指し続けるのか」
    「どこかで切り替えるのか」
    という葛藤について書きます。

    志望校を下げることへの
    抵抗感と向き合い始めた話です。

    ▼ 次の記事
    志望校を下げることへの抵抗感|引き返す怖さ

  • 「この中学に行けたら」と思っていた頃の親の本音|期待と現実のあいだ

    「この中学に行けたら」と思っていた頃の親の本音|期待と現実のあいだ

    わたしの打算

    前の記事では、
    長男が
    その学校の名前を
    自分から言うようになった話を書きました。

    同じ頃、
    私たち親の側にも、
    はっきりとは言葉にしていなかった
    感情がありました。

    「ここに行けたらいいな」

    その気持ちは、
    子どもとは少し違う形で
    私たちの中に
    存在していたように思います。

    親の側には、別の見え方があった

    当時、
    私たちがその学校を意識していた理由は、
    雰囲気や安心感だけでは
    ありませんでした。

    偏差値の位置。
    進学実績。
    その先に広がる進路の選択肢。

    はっきり言えば
    学校選びの前提はそちらの方が大きかった。

    いつかは長男も社会人になるときがくる。
    自分のやりたいことを仕事にしてほしい。
    希望する就職先に入ってほしい。
    そんな思いがありました。

    だから、中学選びは
    その「いつか」を有利に運ぶために逆算して、
    希望する大学や難関大学への進学を確かなものにする
    その一歩目という印象でした。

    ただ、
    それを表に出して話していたかというと、
    そうではなかったと思います。

    家での会話では、
    「いい学校だよね」
    「落ち着いて通えそうだよね」
    という言い方が中心でした。

    期待と現実のあいだで揺れていた

    正直に言えば、
    私たちの中には期待もありました。

    「このレベルの学校に入れたら」
    という気持ち。

    将来の選択肢が広がるかもしれない、
    という感覚。

    でも同時に、
    現実も見えていました。

    今の学力。
    今の状況。
    この先、
    どうなるか分からないという不確実さ。

    「目指す」と言うには、
    まだ早い。
    「現実的だ」と言うには、
    まだ材料が足りない。

    その間で、
    私たち自身が
    揺れていたのだと思います。

    子どもには、そのまま伝えていなかった

    こうした気持ちを、
    私たちは
    そのまま長男に伝えていたわけではありません。

    「この学校に行けたらいい」
    という言葉は、
    口にしても、

    「この学校に入ってほしい」
    「このレベルでなければならない」
    という形では、
    言葉にしていなかった。

    期待があるからこそ、
    それが長男の重荷にならないよう
    距離を取っていた。

    いま振り返ると、
    そんな関わり方を
    していたように思います。

    親の側の「判断」も、まだ曖昧だった

    この時点での私たちの気持ちは、
    はっきりした判断というより、
    願望に近いものでした。

    「ここに行けたら」
    という仮定の話。

    現実的な戦略や、
    具体的な計画は
    まったく思い描けていませんでした。

    それでも、
    頭の中には
    「このくらいの学校」という
    一つの基準が、
    置かれ始めていた。

    それが、
    のちの判断に影響していったのだと、
    いまは思います。

    まとめに代えて

    「ここに行けたら」と思っていた頃の
    親の本音は、
    期待と現実のあいだにありました。

    強く求めていたわけでもない。
    冷静に割り切っていたわけでもない。

    ただ、
    選択肢として
    心の中に置いていた。

    その状態が、
    この時期の私たちだったのだと思います。

    この段階では、
    まだ何も決めていませんでした。

    でも、
    基準が生まれ始めていた。

    そのことだけは、
    確かだったように感じています。

    次の記事では、
    現実的に厳しいかもしれないと
    感じ始めたタイミングについて書きます。

    「いいな」という気持ちと、
    現実の距離感が
    少しずつ
    見えてきた話です。

    ▼ 次の記事
    現実的に厳しいと感じ始めたタイミング|距離が見え始めた瞬間

  • 長男が学校の名前を自分から言うように|親とは違う視点

    長男が学校の名前を自分から言うように|親とは違う視点

    親は自然と口にしていた

    その学校の名前は、
    私たち親の会話の中で
    よく出てくるようになりました。

    進学先の話題。
    将来のことを考えるとき。

    そうした中で、
    私たちは
    自然とその学校の名前を
    口にしていたのだと思います。

    ある時期から、
    長男の口からその学校の名前を聞くようになりました。

    親が話していた学校を、子どもが覚えていた

    長男は、
    学校の情報を自分で調べていたわけではありません。
    学校案内を読み込んでいたわけでもない。

    それでも、一度行ったことがあり、
    家で話題に出る学校の名前は、
    しっかり覚えていたようです。

    「いい学校なんでしょ」
    そんな言い方でした。

    理由は、とても素朴なものだった

    なぜその学校の名前を
    出すようになったのか。

    あとから聞いてみると、
    理由は
    とてもシンプルでした。

    家でよく名前を聞いていたから
    模試で行ったことがあり、校舎の雰囲気がなんかよかったから。
    友達からその学校の名前を聞いたから。

    それらが重なって、
    「ここを目標にする、
    という感じなのかな」
    と思ったそうです。

    子どもは、数字では見ていなかった

    長男は、
    たぶんその頃、偏差値の意味はあいまいにしかわかっていなかったと思います。

    どのくらい難しいのか。
    どのくらいの位置なのか。

    それは前提にない。

    それでも、
    「悪い学校ではなさそう」
    「行けたら、いいかもしれない」

    そんな
    ぼんやりとしたイメージが、
    本人の中で
    形になり始めていたようでした。

    親とは違う理由で、目標になっていた

    いま振り返ると、
    私たち親が
    その学校を意識していた理由と、
    長男が
    その学校の名前を出すようになった理由は、
    少し違っていたように思います。

    親は、
    情報や数字、将来の見通しを
    頭に置いていた。

    一方で、
    長男は、
    身近な会話や耳にした評判、
    実際に行ったことのある場所、
    そうした感覚から「いいところ」と受け取っていた。

    同じ学校でも、見ているものは違っていました。

    まとめに代えて

    長男が
    学校の名前を
    自分から言うようになったことで、
    その学校は私たち家族にとって
    「親が考えている選択肢」から
    「共有され始めた目標」へと
    少しだけ位置づけが変わりました。

    ただ、
    この時点でも、
    何かを決めたわけではありません。

    親と子が、
    同じ名前を同じ重さで
    見ていたわけでもない。

    それでも、
    進学先について考える土台が、
    少しずつ共有され始めていた。

    そんな時期だったように思います。

    次の記事では、
    この学校について
    親である私たちが
    どんな期待を抱いていたのか。

    子どもには
    そのまま伝えていなかった
    親の本音について
    書いていきます。

    ▼ 次の記事
    「この中学に行けたら」と思っていた頃の親の本音|期待と現実のあいだ

  • 偏差値60〜65の学校を「いいな」と思った理由|数字より先に見ていたもの

    偏差値60〜65の学校を「いいな」と思った理由|数字より先に見ていたもの

    これで私たちも中学受験組「感」

    前の記事で書いた学校は、
    当時の私たちにとって
    「志望校」というほど
    固まった存在ではありませんでした。

    ただ、
    話題に出すときと
    少し一人前というか、中学受験組だと実感できるというような感覚でした。

    偏差値は見えていたが、基準にはしていなかった

    本を見れば、
    その学校の偏差値は
    60〜65あたりでした。

    低い数字ではない。

    ただ、
    「この数字を目指そう」
    「この位置にいなければならない」
    そう考えていたかというと、
    そうではありませんでした。

    数字は、
    あくまで情報の一つ。
    でも、
    会話の中心にはなっていなかったと思います。

    「無理そう」と感じなかったこと

    その学校について話していたとき、
    私たちの中にあったのは、
    漠然とした前向きさです。

    「とても届かない感じがする」
    「現実味がない」

    御三家のような雲の上の存在ではないし、
    そうした言葉は、
    特に出てきませんでした。

    だからといって、
    「行けそうだ」と
    確信していたわけでも当然ありません。

    口に出しても
    重くならない。

    その感覚が、
    「いいな」という気持ちにつながっていたように思います。

    学校そのものより、空気を見ていた

    校舎の雰囲気。
    学校のサイトで見る生徒さんたちの雰囲気。

    そうした断片から、
    「安心できそうだな」
    「落ち着いて通えそうだな」
    という印象を
    受け取っていました。

    当時の私たちは、
    学校の強みを
    分析していたというより、
    自分たちの感覚に
    合うかどうかを
    探っていたのだと思います。

    子どもの反応が、判断を後押ししていた

    長男自身は、
    まだ中学校というものを
    具体的に想像できていたわけでは
    ありませんでした。

    それでも、
    その学校の話をしたとき、
    特に否定的な反応があったわけではなかった。

    それだけで、
    十分だったように思います。

    「嫌ではなさそう」

    その感覚があるだけで、
    選択肢として
    置いておいていい。

    当時は、
    それくらいの基準で
    考えていました。

    まとめに代えて

    偏差値60〜65という数字は、
    たしかに見えていました。

    でも、
    それが理由で
    「いいな」と思ったわけではありません。

    無理そうだと感じなかったこと。
    話題にしても空気が重くならなかったこと。
    子どもが拒まなかったこと。

    そうした、
    言葉にしづらい感覚の積み重ねが、
    この学校を
    「いいな」と思わせていたのだと思います。

    当時は、
    それが判断だという自覚もありませんでした。

    ただ、
    後から振り返ると、
    ここにも一つ、
    確かに選び取っていたものがあった。

    いまは、
    そう感じています。

    次の記事では、
    長男自身が
    自分からその学校名を出すようになった話です。

    親の感覚とは少し違う、
    子どもの視点について
    書いていきます。

    ▼ 次の記事
    長男が学校の名前を自分から言うように|親とは違う視点