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  • 中堅校を探し始めた理由|選択肢を現実に引き寄せた頃

    中堅校を探し始めた理由|選択肢を現実に引き寄せた頃

    幅広い偏差値の学校を調べる

    志望校を
    さらに下げるかどうかで
    迷い続けたあと、
    私たちは
    ひとつの行動に出ました。

    それは、
    結論を出すことではなく、
    選択肢を
    より増やすことでした。

    大学附属中に固執しないこと。
    もう少し幅広い偏差値の学校を調べること。

    中堅校を
    具体的に見始める。
    それが、
    この時期の
    私たちなりの進み方でした。

    「下げる」と決めたわけではなかった

    中堅校を探し始めたからといって、
    志望校を
    必ず下げると決めたわけではありません。

    ただ、
    大学附属中だけを前提に
    考え続けることに、
    無理が出てきていました。

    見える範囲を
    少し広げてみる。

    それだけで、
    判断が
    少しだけ楽になる気がしたのです。

    現実的に「届きそうな学校」を知りたかった

    模試の数字を前にして、
    感じていたのは、
    その学校にかすりもせず受験が終わることへの怖さでした。

    振り返ってみれば、
    偏差値65くらいの学校から
    大学附属中に目標を移したときも
    「まだ伸びるのではないか」
    「小6の最後までわからない」
    そんな思いで、上限は設定しても
    下限はあまり見ないようにしていました。

    でも、受験まで1年を切って、
    そうも言っていられなくなってきた。

    どの学校なら、
    どのくらいの距離感なのか。
    どこまでが
    現実的な範囲なのか。

    「現実に即した学校」を
    自分たちの目で
    確かめたかくなったのだと思います。

    中堅校という言葉への抵抗が薄れていった

    正直に言えば、
    それまで
    「中堅校」という言葉には、
    少し距離がありました。

    偏差値でいえば40台後半~50台中盤のイメージでしょうか。
    現状に合わせるということは
    目標を下げた証のように
    感じていたからです。

    でも、
    模試の結果と
    現実を何度も突き合わせるうちに、
    その言葉に
    込めていた意味が
    少しずつ変わっていきました。

    中堅校=妥協。

    そんな単純な図式では、
    もう考えられなくなっていました。

    長男の様子も、判断材料のひとつだった

    長男の様子も判断材料になっていました。

    これまで模試では
    もともと設定していた大学附属中や
    もう少し偏差値が高い学校ばかりを
    志望校として書いていました。

    たとえば「合格可能性80%以上」
    という評価を模試で書いたすべての学校で
    いままで一度も見たことがない。

    それどころか、
    60%や40%もない。
    ほぼ30%未満。

    やってもやってもこうした数字が目に付けば
    モチベーションは下がるだろうなと感じていました。

    「行けるなんて学校ない」
    「おれはできないから」
    そんな言葉を口にするようになりました。

    胸が痛かった。
    いたずらに難しく高い目標を掲げることが正解なのか。
    伸びを期待するどころか、足枷になっているのでは。
    そんな思いにかられました。

    長男の姿を見て、
    選択肢を
    現実に引き寄せることにも
    意味があるのかもしれない。

    そう思い始めました。

    判断を先送りにしたまま、動くという選択

    中堅校を探し始めたのは、
    判断を先送りにしたまま、
    動くためでした。

    決めきれないから、
    止まる。

    ではなく、
    決めきれないから、
    見に行く。

    そのほうが、
    自分たちらしいと
    感じたのだと思います。

    まとめに代えて

    この時期、
    私たちは
    迷いに迷っていました。

    ただ、
    大学附属中だけを
    唯一の前提にして
    考え続ける段階は、
    終わりつつあった。

    中堅校を探し始めたのは、
    判断を
    現実に近づけるためでした。

    次の記事では、
    中堅校を見ていく中で、
    我が家が
    どんな条件を重視するようになったのか。

    進学実績や手厚さといった
    具体的な視点について
    書いていきます。

    ▼ 次の記事
    中堅校に求めた条件

  • これ以上、志望校を下げるのかという葛藤|決めきれなかった時間

    これ以上、志望校を下げるのかという葛藤|決めきれなかった時間

    次の判断はすぐにはできない

    大学附属も厳しいかもしれない。
    そう感じたあと、
    すぐに次の判断ができたわけではありません。

    むしろ、
    ここからが
    一番動けなかった時間だったように思います。

    志望校を
    もう一段、下げるのか。
    それとも、
    ここに踏みとどまるのか。

    簡単に答えを出せる問いではありませんでした。

    下げれば楽になる、という単純な話ではなかった

    志望校を下げれば、
    数字の見え方は
    変わるかもしれません。

    合格可能性も、
    80%偏差値も、
    少しは現実的になる。

    頭では、
    そう分かっていました。

    でも、
    それで気持ちが
    軽くなるかというと、
    そうでもありませんでした。

    「下げること」そのものへの抵抗感

    志望校を下げる。

    その言葉に、
    どこかで
    引っかかりがありました。

    恥ずかしながら
    負けたような気がする。
    逃げているように見える。

    御三家や
    それに次ぐ難関校へ進学している
    職場の先輩たちのお子さんと
    どうしてここまで違うのか。

    そんな感情が、
    自分の中に
    確かにありました。

    それが
    誰かに言われた言葉ではなく、
    自分の内側から
    出てきたものだったことも、
    余計に厄介でした。

    長男に、どう説明すればいいのか

    もう一つ、
    大きかったのは、
    長男自身の受け止めです。

    これ以上、
    志望校を下げるとしたら、
    どう説明すればいいのか。

    「現実的に考えて」
    「今の成績だと」

    そう言葉にした瞬間、
    長男なりにしてきた努力を
    完全に否定してしまうような
    気がしました。

    本人の気持ちを
    切らせることにならないか。

    その線引きが、
    分かりませんでした。

    まだ諦めきれない気持ちも残っていた

    数字を見れば、厳しい。

    それは、分かっています。

    でも、
    完全に諦めきれるほど、
    状況が
    はっきりしているわけでもない。

    「もう少しだけ」
    「これからが本番で、伸びるかもしれない」

    そんな期待が、
    どこかに残っていました。

    決めきれないまま、時間だけが過ぎていった

    志望校を下げる。
    下げない。

    どちらを選んでも、
    納得しきれない。

    その結果、
    判断は先送りになりました。

    動いていないようで、
    頭の中では
    ずっと考えている。

    でも、
    結論にはたどり着かない。

    そんな時間が、
    続いていました。

    まとめに代えて

    これ以上、
    志望校を下げるのか。

    この問いは、
    簡単に
    白黒つけられるものではありませんでした。

    正解が分からないから
    迷ったのではなく、
    どちらを選んでも
    失うものがあると
    感じていたからだと思います。

    この時点では、
    まだ
    答えは出ていませんでした。

    ただ、
    迷っていること自体が、
    次の判断へ向かう
    前触れになっていた。

    いま振り返ると、
    そんな時間だったように思います。

    次の記事では、
    この葛藤を抱えたまま、
    中堅校という選択肢を
    具体的に考え始めた話を書いていきます。

    ▼ 次の記事
    中堅校を探し始めた理由

  • 大学附属中も厳しいと感じた瞬間|現実を直視せざるを得なかった頃

    大学附属中も厳しいと感じた瞬間|現実を直視せざるを得なかった頃

    もう「たまたま」とは言えない

    模試を重ねる中で、
    偏差値が大きく動くことはありませんでした。

    一度きりの結果ではない。
    たまたまでもない。

    そう思うようになった頃、
    私の中で、
    ある感覚が
    はっきりと形になってきました。

    「届かないかもしれない」という実感

    大学附属を目標にすると決めたとき、
    簡単ではないことは、
    分かっていました。

    ただ、
    努力を続ければ、
    どこかで近づいていくのではないか。
    少なくとも偏差値65くらいの
    学校を目標にしていた頃よりは
    長男の学校に対する思いはあるのだから。

    そんな期待も、
    正直、
    持っていたと思います。

    でも、
    模試の結果を
    並べて見返すうちに、
    その距離が
    ほとんど縮まっていないことが、
    気になり始めました。

    差が縮まらないまま、時間だけが過ぎていった

    点数も、
    偏差値も、
    多少の上下はあります。

    けれど、
    全体として見れば、
    大きな変化はない。

    「あと少し」
    と言えるところまで、来てほしい。
    でも、来ていない。

    その現実が、
    少しずつ、
    重くのしかかってきました。

    目標の置き方を、考え直す必要があるのではないか

    ここで初めて、
    目標そのものについて
    考え始めました。

    努力の量が足りないのか。
    やり方が合っていないのか。

    それとも、
    前提として置いている目標が、
    いまの状態に対して
    無理のあるものなのか。

    どれか一つに
    原因を求められるほど、
    状況は
    単純ではありませんでした。

    「厳しい」と思った瞬間

    大学附属も、
    現実的に考えると、
    厳しいのではないか。

    そう思ったのは、
    はっきりとした出来事が
    あったからではありません。

    複数の結果を
    並べて見たときに、
    自然と浮かんできた感覚でした。

    期待と現実のあいだにある距離を、
    これ以上、
    見ないふりはできない。

    そのとき、
    ようやく
    そう思いました。

    それでも、すぐに答えは出なかった

    「厳しい」と感じたからといって、
    すぐに
    次の判断ができたわけではありません。

    志望校を下げるのか。
    別の選択肢を探すのか。

    考えるべきことは、
    一気に増えました。

    ただ、
    この時点で分かっていたのは、
    これまでと同じ考え方のままでは、
    前に進めない、
    ということだけでした。

    まとめに代えて

    模試を重ねた結果、
    大学附属という目標が、
    現実的に
    厳しいかもしれない。

    そう感じたのが、
    この時期でした。

    それは、
    諦めた瞬間ではありません。

    ただ、
    目をそらしてきた現実を、
    ようやく
    正面から見るようになった、
    そんな感覚でした。

    次の記事では、
    この感覚を前にして、
    それでも
    志望校を
    さらに下げるのかどうか。

    簡単には答えが出なかった葛藤について
    書いていきます。

    ▼ 次の記事
    これ以上、志望校を下げるのかという葛藤

  • 偏差値40~50をうろうろした現実|伸びている実感が持てなかった頃

    偏差値40~50をうろうろした現実|伸びている実感が持てなかった頃

    首都圏模試の結果だけなのか

    最初の首都圏模試の結果を見て、
    動揺しました。

    合格可能性30%未満。
    80%偏差値との大きな差。

    「まずい」と感じながらも、
    心のどこかでは、
    一度きりの結果かもしれないし、
    これをボトムとして上げていけばいい。

    もう一度受ければ、
    違う数字が出るかもしれない。

    そんな気持ちで、
    その後も模試を受け続けることになります。

    数字は、大きく変わらなかった

    結果は、
    大きくは変わりませんでした。

    偏差値は、
    50前後。

    ここで長男の小5以降の模試の
    4科目総合のおおむねの月別偏差値を書いていきます。
    【小5】
    1月 45
    2月 47
    3月 52
    4月 50
    5月 49
    6月 43
    7月 40
    8月 47
    9月 46
    10月 43
    11月 49
    12月 50
    1月 41
    2月 46
    3月 42

    【小6】
    首都圏1回目 49

    上がったり、
    下がったり。

    はっきりとした上昇も、
    明確な改善も、
    感じられない。

    劇的に悪くなるわけでもないけれど、
    良くなっているとは言えない。
    40~50の間をうろうろ。

    そんな数字が、
    続いていきました。

    もう「たまたま」では片づけられない

    一度の結果なら、
    たまたま、
    調子が悪かった、
    とも言えます。

    でも、
    同じような点数、
    同じような偏差値が、
    続くと、
    そうも言えなくなってきます。

    これは、
    塾の模試だろうが首都圏模試だろうが、
    もうほぼいまの実力ではないだろうか。

    そんな考えが、
    少しずつ、
    現実味を帯びてきました。

    伸びている実感が持てなかった

    勉強をしていないわけではありません。
    努力していないわけでもない。

    それでも、
    結果として出てくる数字に、
    変化がない。

    頑張っている感覚と、
    数字の現実が、
    まったく重なりませんでした。

    「このまま続ければ伸びる」
    という確信も持てず、
    「もう限界だ」と
    言い切れるわけでもない。

    中途半端な状態が、
    続いていました。

    期待と不安が同時にあった

    まだ伸びるかもしれない、
    という期待。

    でも、
    この水準が現実なのではないか、
    という不安。

    その二つが、
    同時にありました。

    希望も、
    諦めも、
    どちらにも
    踏み切れない。

    数字はあるのに、
    判断の材料として
    使い切れない感覚が、
    残っていました。

    数字が「現実」になり始めた感覚

    繰り返し見るうちに、
    偏差値50以下くらいという数字が、
    少しずつ、
    特別なものではなくなっていきました。

    受け止めきれず、
    でも無視して突き進むわけにもいかない。

    数字が、
    じわじわと
    現実として定着していくような、
    そんな感覚でした。

    まとめに代えて

    初めての首都圏模試の結果への思いは
    時間とともに、
    別の形に変わっていきました。

    大きなショックから、
    静かな不安へ。

    偏差値50以下を
    行き来する数字は、
    「一時的な結果」ではなく、
    「いまの状態」ということなのだろう…か。

    そう感じ始めた頃でした。

    ただ、
    最初に思い描いていたイメージと、
    現実のあいだに、
    確かに、そして遠い距離があることだけは、
    はっきりしてきていました。

    次の記事では、
    この数字を前にして、
    目標にしていた大学附属が、
    現実的にどれほど厳しいのかを、
    初めてはっきり意識した瞬間について
    書いていきます。

    ▼ 次の記事
    大学附属中も厳しいと感じた瞬間

  • 首都圏模試の合格可能性と80%偏差値に戸惑う|数字の重さに立ち止まった日

    首都圏模試の合格可能性と80%偏差値に戸惑う|数字の重さに立ち止まった日

    初めての首都圏模試の結果は…

    小6になって、
    初めて首都圏模試を受けました。

    志望校には、
    目標としていた大学附属中を設定していました。

    模試を受ければ、
    いまの立ち位置が少しは見えるはずだ。

    そんな期待と不安が
    入り混じった状態で、
    結果を見ることになりました。

    合格可能性は30%未満だった

    最初に目に入ったのは、
    合格可能性の数字でした。

    30%未満。

    覚悟していなかったわけではありません。
    ただ、
    実際に数字として突きつけられると、
    受け止め方はまったく違いました。

    「いやぁマジかぁ」
    頭の中で何度も言った気がします。

    合格80%偏差値65に対して

    次に確認したのが、
    合格80%偏差値でした。
    この偏差値であれば80%の確率で
    合格するという値。
    これは集団塾の模試にはないので、
    かなり目安として使いやすいと
    思っていました。

    65を超えている。

    首都圏模試では、
    四谷大塚や日能研の模試に比べて
    合格水準の偏差値が
    高めに出る。

    そうした情報は、
    事前に知っていました。

    でも、
    知っていることと、
    長男の結果として
    突きつけられることは、
    別の話でした。

    点数にすると、100点足りなかった

    80%偏差値に届かせるためには、
    4科目合計で
    およそ100点足りない
    という状況でした。

    100点。

    この数字を、
    どう受け止めればいいのか、
    すぐには分かりませんでした。

    努力で埋められる差なのか。
    現実的には難しい差なのか。

    4科目に割り振ればなんとかなるかもしれない数字。

    「あと100点」という表現が、
    近いようで、
    とても遠く感じられました。

    正直、これはまずいと感じた

    そのとき、
    頭に浮かんだのは、
    とても単純な感覚でした。

    正直、
    これはまずい。

    冷静に分析した結果というより、
    感覚的な反応に近かったと思います。

    理由を整理する前に、
    不安だけが
    先に立ち上がってきました。

    悩み深い、最初の一回だった

    この首都圏模試は、
    安心をくれるものではありませんでした。

    むしろ、
    新しい迷いを
    はっきりと連れてきた。

    模試を受ければ、
    少し整理できると思っていたのに、
    数字を前にして、
    立ち止まってしまった。

    それが、
    このときの
    正直な実感です。

    まとめに代えて

    小6で受けた
    最初の首都圏模試は、
    現実を突きつける一方で、
    次に何をすればいいのかを
    教えてはくれませんでした。

    合格可能性と80%偏差値。
    そして、
    100点という差。

    この数字を、
    どう受け止め、
    どう扱えばいいのか。

    答えは、
    まだ見えていませんでした。

    次の記事では、
    この結果が一度きりのものなのか、
    それとも
    いまの実力を示しているのか。

    その後も受けた模試で、
    偏差値が50以下を行き来した現実について
    振り返ります。

    ▼ 次の記事
    偏差値40~50をうろうろした現実

  • 小6から首都圏模試を受け始めた理由|物差しを変えたかった頃

    小6から首都圏模試を受け始めた理由|物差しを変えたかった頃

    中学受験組全体のなかで長男の立ち位置は

    志望校を大学附属に切り替えたあと、
    私の中には、
    ひとつの落ち着かなさが残っていました。

    判断はした。
    でも、
    その判断がどこに位置しているのか、
    はっきりとは分からない。

    周囲に相談できず、
    自分の考えだけで進んでいる感覚が、
    少し心許なかったのだと思います。

    そんな中で、
    私たちは
    模試を受けることを考え始めました。

    大学附属を志望校に据えたとはいえ、
    成績が
    その水準に到達しているのかどうか。

    正直なところ、
    自信はありませんでした。

    長男が通っていた塾でも
    模試はあり、順位と偏差値は出る。

    でも、
    母数が小さくて、
    外から見てどうなのかは、
    分からない。

    塾全体の生徒の学力分布と
    中学受験を考えている層の学力分布、
    その二つにどれほどの違いがあるかわからないということです。

    塾の成績だけでは、判断しきれなかった

    通っていた集団塾のテストは、
    あくまで
    塾のカリキュラムに沿ったものです。

    志望校を考える材料として、
    十分だと言われれば、
    そうなのかもしれません。

    ただ、
    相談できる相手がいない状況では、
    その成績を
    どう受け取ればいいのかも、
    判断しきれませんでした。

    「順調」と言っていいのか。
    「まだ足りない」のか。

    確かめる術が、
    欲しかったのです。

    模試は「答え」ではなく、目安が欲しかった

    模試を受けようと思ったのは、
    進路を決めるための
    答えが欲しかったからではありません。

    ただ、
    考え続けるための
    材料が欲しかった。

    志望校を切り替えた判断が、
    極端に背伸びしたものなのか。
    それとも、
    現実から大きく外れてはいないのか。

    白か黒かではなく、
    グレーの濃さを知りたかった。

    そのための
    ひとつの目安として、
    模試を受けることにしました。

    首都圏模試を選んだ理由

    いくつかある模試の中で、
    首都圏模試を選んだのには、
    理由があります。

    難関校向けというより、
    首都圏の中堅校まで含めた
    幅広い層を対象にしていること。
    基礎から応用まで実力をみやすい。

    受験者は毎回1万人以上。
    偏差値の出方で
    中学受験組全体の
    おおむねの立ち位置がわかること。
    物差しとして使いやすいと考えたからです。

    判断を固めるためではなく、揺らぎを抑えるために

    模試を受けることで、
    判断が固まるとは、
    思っていませんでした。

    むしろ、
    揺らぎすぎている状態を、
    少し抑えたかった。

    自分たちの考えが、
    完全に独りよがりではないと、
    確認したかったのだと思います。

    模試は、
    進路を決める道具ではなく、
    判断を続けるための
    補助線のようなものでした。

    まとめに代えて

    小6から模試を受け始めたのは、
    自信があったからでも、
    覚悟が決まったからでもありません。

    志望校を切り替えた判断を、
    宙に浮かせたままにしないため。

    そして、
    次に何を考えるべきかを
    見失わないためでした。

    この模試の結果が、
    新たな安心をもたらすのか。
    それとも、
    別の迷いを連れてくるのか。

    この時点では、
    まだ分かっていませんでした。

    次の記事では、
    首都圏模試の結果を受けて、
    合格可能性と80%偏差値という
    具体的数字に戸惑った話を書いていきます。

    ▼ 次の記事
    首都圏模試の合格可能性と80%偏差値に戸惑う|数字の重さに立ち止まった日

  • 周囲に志望校変更を相談できなかった理由|せっかくの判断が

    周囲に志望校変更を相談できなかった理由|せっかくの判断が

    積極的には言わなかった

    小5の途中で、
    志望校を大学附属へ切り替えました。

    自分の中では、
    それなりに考え抜いた判断でした。

    それでも、
    その判断を周囲に相談できたかというと、
    そうではありません。

    むしろ、
    積極的に言わなかった。
    というほうが、
    近かったと思います。

    「早すぎる」が怖かった

    志望校を切り替えた理由は、
    自分の中では
    整理したつもりでした。

    「もしかしたらもっと上に」という可能性より、
    現実を見ることにした。
    家庭全体で考えた判断。

    「まだ小5だよ」
    「早すぎるって」
    「うちはこうしたらうまくいった」

    その判断がこうした言葉で
    またぐらぐらに揺らぐのが怖かったのだと思います。

    同僚や先輩の家庭をみると

    私の勤める会社の先輩は
    多くが子どもたちに中学受験をさせています。

    そしてほとんどが
    難関校に合格して通っています。
    きょうだいで御三家や新御三家に合格している
    とか
    御三家はあきらめたけれど名門校
    とか
    本人自身も有名な中学を出ているとか。

    正直言えば、
    我が家のような状況に置かれた人が見当たらない。
    アドバイスのレベルがあまりに高すぎる。
    子どもの様子が違いすぎる。
    参考にしづらい部分がありました。

    だから言い出しにくい。

    塾の同じクラスの親御さんにも聞きづらい。

    また、塾の先生に相談する機会が
    この時期になかったということもあります。
    常々、「まだ具体的な志望校は決めなくていい」
    と塾の便りにも書いてあり、
    現状と目標とそのギャップを
    相談する気になれなかったということもあります。

    話さないことで、守っていたものもあった

    周囲に言わなかったことで、
    守れていたものも、
    あった気がします。

    ほかの家と比較して
    どうこうと子どもに言わなくて済む。

    そして、
    長男の前で、
    判断を
    不安定に見せないこと。

    話さないことは、
    逃げでもあり、
    同時に
    防御でもありました。

    まとめに代えて

    志望校を切り替えたあと、
    私は、
    その判断を
    外に出すことがほとんどできませんでした。

    相談しなかったのは、
    引け目とか劣等感とか
    そういうことよりも
    同じような悩みを持っている人が周囲におらず、
    相談してもしょうがないという考えがあったと思います。

    そして、
    この「相談できないこと」が、
    次の迷いへと
    つながっていきます。

    次の記事では、
    志望校を切り替えたあとに受け始めた
    模試の話を書きます。

    ▼ 次の記事
    小6から首都圏模試を受け始めた理由|物差しを変えたかった頃

  • 小5途中で志望校を切り替えた判断|現実を見たつもりだった

    小5途中で志望校を切り替えた判断|現実を見たつもりだった

    考え抜いた

    大学附属という選択肢を前にして、
    しばらく迷い続けたあと、
    我が家は、ひとつの方向に
    はっきりと舵を切りました。

    小5の途中、
    夏休みを前に
    志望校を大学附属へ切り替える。

    それは、
    勢いで決めたことでも、
    自然にそうなった結果でもありません。

    当時の私なりに、
    考え抜いたうえでの
    判断でした。

    大学附属を志望校として選ぶと決めた

    この時点で、
    大学附属は
    「候補のひとつ」ではなく、
    明確な志望校になっていました。

    大学までの進路が、
    ある程度、約束されていること。

    6年間を通して、
    受験に縛られすぎず、
    やりたいことに時間を使えること。

    その魅力が、
    私の中では、
    「将来の選択肢が狭まるかもしれない」
    という不安を、
    上回ったのです。

    迷いが消えたわけではありませんが、
    天秤は、
    こちら側に傾いていました。

    無限の可能性より、現実を見ることにした

    当時、
    私がよく考えていたのは、
    「可能性」という言葉でした。

    もっと伸びるかもしれない。
    まだわからない。
    将来は開かれている。

    そう考えることも、
    もちろんできました。

    ただ、
    親の学力も含めて、
    家庭全体で見たとき、
    無限の可能性を追い続ける覚悟が
    本当にあるのか。

    正直に考えると、
    自信はありませんでした。

    だから私は、
    この判断を、
    「現実に即した合理的な選択」だと、
    自分に言い聞かせました。

    高すぎる目標が、重荷になっている気がした

    もうひとつ、
    頭から離れなかったのは、
    長男の様子でした。

    高い目標を掲げているとき、
    どこかで
    苦しそうに見えることがあった。

    努力していないわけではありません。

    ただ、
    目標が遠すぎると、
    「手応えがない」
    「目指す学校のイメージがつかめない」
    という感覚のほうが、
    先に立ってしまうのではないか。

    それなら、
    現実的に可能性のある学校を目指したほうが、
    前向きに
    取り組めるのではないか。

    そう考えるようになっていました。

    「道を狭める判断」になる可能性があると、わかっていて選んだ

    大学附属を選ぶことが、
    道を広げる判断ではないことは、
    分かっていました。

    それでも、
    6年間という時間の中で、
    得られるもののほうが大きい。

    その価値判断を、
    当時の私は、
    受け入れました。

    迷いながらではありますが、
    ここは
    はっきりと
    選んだところです。

    まとめに代えて

    小5の途中で、
    志望校は、
    大学附属へ切り替わりました。

    楽な道を選んだわけでも、
    逃げたわけでもなく、
    現実的で合理的な判断。

    そう整理しなければ、
    前に進めなかった、
    というのが正直なところです。

    この判断が、
    正しかったのかどうかは、
    当時の私には、
    まだ分かっていませんでした。

    ただ、
    ここから先は、
    この前提に立って
    考えていくしかない。

    そう腹をくくった、
    小5の途中でした。

    次の記事では、
    この志望校変更を、
    周囲にどう伝え、
    なぜ言えなかったのかについて
    書いていきます。

    ▼ 次の記事
    周囲に志望校変更を相談できなかった理由|せっかくの判断が

  • 大学附属中の魅力と引き換えに迷ったこと|安心と不安のあいだ

    大学附属中の魅力と引き換えに迷ったこと|安心と不安のあいだ

    まとめて引き受けてくれる存在だが

    前の記事で書いたように、
    大学附属という選択肢は、
    当時の私にとって
    一つの光のようにも見えていました。

    志望校を下げることへの抵抗感。
    大学受験への不安。
    将来への見通しのなさ。

    それらを、
    まとめて受け止めてくれる
    選択肢のように思えたのです。

    そして長男の前向きな反応。

    ただ、
    考えれば考えるほど、
    手放すことになるものも
    少しずつ見えてきました。

    「大学まで決まる」ことへの引っかかり

    大学附属の一番の特徴は、
    大学までの進路が
    見えていることです。

    入学できれば、よほどのことがない限り
    ほぼ系列大学に進むことができる。
    頑張れば学部も選べる。
    それは、
    大きな安心材料でした。

    一方で、
    別の感情も
    同時に生まれていました。

    本当に、
    この時点で
    大学まで決めてしまっていいのか。

    まだ小学生の段階で、
    将来の選択肢を
    狭めてしまうことにはならないのか。

    安心と引き換えに、
    早々にひとつの道を閉じてしまうような
    感覚もありました。

    「受験をしない」ことへの不安

    大学受験をしなくて済む。

    それは、
    確かに魅力でした。
    勉強はする前提ですが、
    受験に縛られず、自分のやりたいことに時間を使える。
    そう思えたのも、正直なところでした。

    でも、
    受験がないということは、
    あまり競争をしない
    ということでもあります。

    努力の基準は、
    どこに置けばいいのか。
    モチベーションは、
    どう保てばいいのか。

    受験という
    明確なゴールがない状態で、
    学び続けられるのか。

    そんな不安も、
    頭を離れませんでした。

    「楽になる」ことへの引っかかり

    正直に言えば、
    大学附属という選択肢には、
    「楽になるのではないか」
    という印象もありました。

    もちろん、
    実際の学校生活が
    楽だという意味ではありません。

    ただ、
    親として、
    険しい道を
    避けているような感覚。
    そこまで親が道を決め、
    平坦にならすようなことをしていいのか。

    そんな問いを、
    無視することはできませんでした。

    安心と不安が、同時に存在していた

    この時期の私の中には、
    二つの感情が
    同時にありました。

    大学附属なら、
    少し楽になるかもしれない。

    でも、
    本当にそれでいいのか。

    この安心感は、
    将来につながるものなのか。
    それとも、
    目をそらしているだけなのか。

    答えは、
    まだ出ていませんでした。

    まとめに代えて

    大学附属という選択肢は、
    当時の私にとって
    救いでもあり、
    新たな迷いの種にもなりました。

    何かを解決するために
    見つけた選択肢が、
    別の問いを連れてくる。

    この時点では、
    まだ
    進むとも戻るとも
    決められていなかった。

    ただ、
    簡単な道ではないことだけは、
    はっきりしていました。

    次の記事では、
    こうした迷いを抱えたまま、
    それでも
    志望校の考え方を
    もう一度組み替えようとした話を書きます。

    ▼ 次の記事
    小5途中で志望校を切り替えた判断|現実ラインを探し始めた頃

  • 大学附属中を実際に見て「ここでいいのでは」と思った瞬間|子どもの反応が背中を押した

    大学附属中を実際に見て「ここでいいのでは」と思った瞬間|子どもの反応が背中を押した

    足を運んで感じたこと

    大学附属という選択肢を
    頭の中で整理し始めたあと、
    私たちは実際に
    いくつかの学校を見に行きました。

    条件や偏差値だけで考えていたときとは違い、
    現地に足を運ぶと、
    考え方が少し変わってくるものです。

    その中に、
    「ここでいいのではないか」
    そう思った学校がありました。

    初めて具体的に「通う姿」を想像した

    校舎を歩き、
    授業中の教室を外から見て、
    広々としたグラウンドを眺め、
    食堂でご飯を食べて、
    学校の一日の流れを聞く。

    特別な出来事が
    あったわけではありません。

    ただ、
    無理がない。
    生徒さんたちも楽しそうに学校生活を送っている。

    そうした感覚が、
    少しずつ積み重なっていきました。

    これまで考えてきた条件とも、
    大きくはずれていない。

    「ここなら」
    という言葉が、
    頭の中に浮かび始めていました。

    子どもの反応が、想像以上に良かった

    何より印象に残っているのは、
    長男の反応でした。

    学校を出たあと、
    特別に興奮していたわけではありません。

    でも、
    表情は悪くなかった。
    否定的な言葉も出なかった。

    「ここ、いいね」
    「通えそう」
    「通学はこういうふうにすればいいよね」

    いつもより口数が多かった。

    それだけで、
    親としては
    十分だったように思います。

    無理をしている様子もない。
    背伸びしている感じもない。

    「ここでいいのではないか」
    という気持ちが、
    一段強くなりました。

    親の中で、決めてしまってもいいという感覚が生まれた

    迷いが消えたわけではありません。

    でも、
    これ以上探し続けなくてもいいのではないか。
    このあたりで
    一度決めてしまってもいいのではないか。

    そんな考えが、
    はっきり形を持ち始めていました。

    条件も大きく外れていない。
    子どもも前向き。
    現実的なラインにも見える。

    「ここで進めば、
    少なくとも破綻はしない」

    そんな確信に近い感覚が、
    確かにありました。

    そのときは、迷いよりも前向きさが勝っていた

    この時点では、
    まだ
    大きな葛藤は表に出てきていませんでした。

    むしろ、
    一つ肩の荷が下りたような気持ち。

    「ようやく
    落ち着ける場所が見えた」

    そんな安堵の方が、
    強かったのだと思います。

    この瞬間、
    私は「ここに決めたら、小6の最後まで子どもと走れるのでは」と
    思っていました。

    まとめに代えて

    大学附属校を見学し、
    子どもの反応も良く、
    親としても納得できそうだと感じた。

    この時期には、
    確かに
    「ここでいいのではないか」
    と思った瞬間がありました。

    まだ、
    迷いが消えていたわけではありません。

    でも、
    判断は
    すぐそこまで来ていた。

    そう言える状態だったと思います。

    次の記事では、
    この「決めよう」という気持ちが
    なぜ、そのまま判断に
    つながらなかったのか。

    安心できそうに見えたからこそ
    生まれてきた
    別の葛藤について書きます。

    ▼ 次の記事
    大学附属中の魅力と引き換えに迷ったこと|安心と不安のあいだ