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  • 大学附属中という選択肢を意識し始めた理由|下げたくなかった基準

    大学附属中という選択肢を意識し始めた理由|下げたくなかった基準


    届かないかもしれないという現実

    志望校を下げることへの抵抗感を
    強く抱えていた頃。

    それでも、
    これまで思い描いていた学校に
    届かないかもしれないという現実は
    無視できなくなっていました。

    その中で、
    私の頭に浮かんできたのが、
    大学附属という選択肢でした。

    偏差値は下がるが、基準は下げたくなかった

    大学附属校を考え始めたとき、
    私の中には
    はっきりした前提がありました。

    偏差値を
    これまで見てきた学校より
    下げる必要がある。

    ただ、
    「何でもいいから下げる」というのは違う。

    私が下げたくなかったのは、
    偏差値そのものではなく、
    その先にある基準でした。

    見ていたのは「大学」と「その先」

    当時、
    私が大学附属に惹かれた一番の理由は、
    大学受験をしなくて済む、
    という点でした。

    大学受験の結果で
    将来が大きく左右される不安。

    そのプレッシャーから、
    少し距離を取れるかもしれない。

    それは、
    家庭にとっても、
    長男にとっても
    メリットに見えました。

    加えて、
    私の頭には
    もう一つの基準がありました。

    それは、
    「将来、就職の場面で不利にならないか」
    という点です。

    附属ならどこでもいい、とは思えなかった

    大学附属校であれば、
    どこでも同じ。

    当時の私は、
    そうは考えていませんでした。

    系列大学に進学した先で、
    どんな進路が見えるのか。

    社会に出るときに、
    どの程度の選択肢が残るのか。

    そう考えると、
    大学附属であれば
    どこでもいいわけではない。

    少なくとも、
    社会で一定の評価がすでにある大学に
    つながる附属でなければ、
    自分が求めている安心感は
    得られない。

    そんな感覚を、
    強く持っていました。

    「下げた」のではなく、条件を付け直していた

    結果として、
    私が考え始めていたのは、
    これまでより
    偏差値がやや低い大学附属校でした。

    ただそれは、
    単純に目標を下げた、
    という感覚ではありません。

    偏差値は下がる。
    でも、
    大学受験を回避できること。
    将来の選択肢が
    大きく狭まらないこと。

    その条件を
    満たす学校だけを、
    新たな選択肢として
    見ようとしていた。

    そんな整理の仕方だったように思います。

    まとめに代えて

    大学附属という選択肢を
    意識し始めたのは、
    迷いが深くなったからです。

    これまでとは
    違う角度で
    基準を置き直そうとしていました。

    偏差値を下げることへの抵抗感。
    将来への不安。
    大学受験への怖さ。

    それらを
    一度に解消できる道として、
    大学附属が
    視界に入ってきた。

    この時点では、
    まだ判断ではなく、
    条件を組み替えていただけでした。

    次の記事では、
    大学附属という選択肢を
    頭の中だけで考える段階から一歩進み、
    実際に学校を見に行ったときの話を書きます。

    条件や偏差値では整理できなかった感覚や、
    子どもの反応を前にして、
    「ここでいいのではないか」と
    初めて具体的に思った瞬間についてです。

    ▼ 次の記事
    実際に見て「ここでいいのでは」と思った瞬間|子どもの反応が背中を押した

  • 志望校を下げることへの抵抗感|引き返す怖さ

    志望校を下げることへの抵抗感|引き返す怖さ

    厳しい。でも、気持ちが追いつかない

    前の記事で書いたように、
    「この中学は現実的に厳しいかもしれない」
    という感覚は、
    少しずつはっきりしてきていました。

    それでも、
    すぐに志望校を変える、
    という判断には
    向かえませんでした。

    理由は単純で、
    気持ちが追いついていなかったからです。

    「下げる」という言葉が、重く感じられた

    志望校を見直す、
    という言い方もできます。

    でも当時の私にとっては、
    それは
    「下げる」という言葉とほぼ同じでした。

    目線を落とすこと。
    一度置いた目標から引き返すこと。

    それが、
    とても大きな後退で、取り返しがつかないことのように
    感じていました。

    「下げる」ことでなにが失われるかを考えてしまった

    もしいま、
    志望校を変える。いや、下げたら。

    当時の私には
    志望校を下げれば、
    下げた先の学校が上限になってしまう
    下手をしたら、そこにも届かなくなるのではないか、
    という気持ちがありました。

    高い目標があるからこそ、そこに向かって努力する。
    それは伸びにつながる。
    目標が低くなれば、そこまでの努力はできないのではないか。
    そんなイメージでした。

    いまその判断をしてしまえば、
    これまでの迷いや、
    期待や、
    悩んできた時間、
    長男のこれからの可能性まで失われてしまうような
    気がしていたのだと思います。

    「まだ決めなくていい」という逃げ道

    現実的に厳しいと
    感じていながらも、
    私は
    こんな言葉で
    自分を落ち着かせていました。

    「まだ決めなくていい」
    「もう少し様子を見よう」

    それは、
    間違った判断では
    なかったかもしれません。

    ただ、
    決めない理由が
    現実ではなく、
    気持ちの抵抗だったことも、
    事実だったように思います。

    子どもにどう伝えるか、決められなかった

    もう一つ、
    志望校を下げる判断を
    難しくしていたのは、長男への伝え方でした。

    本人が、
    その学校の名前を
    口にするようになっている。

    そんな状況で、
    「やっぱり無理そう」
    と言っていいのか。

    どれだけ子どものモチベーションに影響するのか。
    それを考えると
    簡単には
    踏み出せませんでした。

    まとめに代えて

    志望校を下げることへの
    抵抗感は、
    単なる見栄や
    プライドだけでは
    なかったと思います。

    そこには、
    これまで積み重ねてきた
    時間や期待、
    これからの可能性も
    含まれていました。

    だからこそ、
    「厳しいかもしれない」と
    感じていても、
    すぐには
    引き返せなかった。

    この時期の私は、
    現実を見ながらも、
    まだ
    その先に進む覚悟を
    持てずにいたのだと思います。

    次の記事では、
    そんな抵抗感を抱えたまま、
    私たちが
    具体的な選択肢として
    意識し始めたものについて書きます。

    ▼ 次の記事
    大学附属という選択肢を意識し始めた理由|下げたくなかった基準

  • 現実的に厳しいと感じ始めたタイミング|距離が見え始めた瞬間

    現実的に厳しいと感じ始めたタイミング|距離が見え始めた瞬間

    親の期待があっても

    前の記事で書いたように、
    私たち親の側には、
    「この中学に行けたら」という
    本音がありました。

    ただ、その気持ちは、
    ある時期から
    少しずつ形を変えていきます。

    期待が消えた、
    というよりも、
    期待と現実のあいだに
    距離があることを
    強く意識するようになったのです。

    数字が、急に重く感じられたわけではない

    小4の頃から続けていた塾の模試。
    小5になると大きく変わる部分があります。
    それは、模試の結果に
    学校選択の目安が表示されるということです。

    模試の偏差値に対して、
    現実的な学校
    やや上の学校
    かなり上の学校がいくつか表示されます。
    これは意識せざるをえませんでした。

    偏差値が、急に大きく下がった、
    ということはありませんでした。

    ただ、
    模試の結果を並べて見たとき、
    その学校の偏差値が高すぎて
    表示すらされないというケースが度々あった。

    「全然届いていない」という事実が、
    動かしにくいものとして
    残るようになってきた。

    そんな印象でした。

    「頑張れば何とかなる」という言葉が、薄れていった

    それまでは、
    「男の子は小6の夏休み以降にぐっと伸びる」
    とか
    「スイッチが入れば強い」
    というどこかで聞いたフレーズに期待していた部分がありました。

    「これから伸びる可能性は大いにある」
    「まだまだ時間がある」
    そう言いながら、
    自分たちを納得させていたと思います。

    でも、
    模試の結果が積み上がれば積み上がるほど、
    「頑張れば何とかなる」という言葉が、
    現実から離れていく。

    そんな感覚でした。

    子どもの様子が、現実を引き寄せてきた

    長男は、
    焦っている様子を
    見せていたわけではありません。
    それも心配な要素のひとつになりました。

    勉強に向かう姿勢や、
    つまずく場面を見ていると、
    埋まらない差が
    あるようにも感じました。

    努力が足りない、
    という話ではありません。

    やり方やペース、理解の仕方。

    そうしたものが、
    想像していた軌道を
    大きくそれてきている。

    そのことが、
    現実を
    引き寄せてきていました。

    期待を手放す準備を、まだしていなかった

    この時点では、
    「この中学は無理だ」と
    決めたわけではありません。

    ただ、
    同じ熱量で
    期待し続けることはとても苦しかった。

    それでも、
    代わりの選択肢を
    考え始めていたわけでもない。

    期待と現実のあいだで、
    立ち止まっていた。

    そんな状態だったと思います。

    まとめに代えて

    現実的に厳しいと感じ始めたのは、
    何か一つの出来事が
    きっかけだったわけではありません。

    一つ一つの事実が
    積み重なった結果でした。

    この時期は、
    期待を捨てたわけでも、
    判断を下したわけでもない。

    ただ、
    これまでと同じ見方では
    進めないかもしれない。

    そのことに、
    ようやく
    気づき始めた段階だったように思います。

    次の記事では、
    「それでも目指し続けるのか」
    「どこかで切り替えるのか」
    という葛藤について書きます。

    志望校を下げることへの
    抵抗感と向き合い始めた話です。

    ▼ 次の記事
    志望校を下げることへの抵抗感|引き返す怖さ

  • 「この中学に行けたら」と思っていた頃の親の本音|期待と現実のあいだ

    「この中学に行けたら」と思っていた頃の親の本音|期待と現実のあいだ

    わたしの打算

    前の記事では、
    長男が
    その学校の名前を
    自分から言うようになった話を書きました。

    同じ頃、
    私たち親の側にも、
    はっきりとは言葉にしていなかった
    感情がありました。

    「ここに行けたらいいな」

    その気持ちは、
    子どもとは少し違う形で
    私たちの中に
    存在していたように思います。

    親の側には、別の見え方があった

    当時、
    私たちがその学校を意識していた理由は、
    雰囲気や安心感だけでは
    ありませんでした。

    偏差値の位置。
    進学実績。
    その先に広がる進路の選択肢。

    はっきり言えば
    学校選びの前提はそちらの方が大きかった。

    いつかは長男も社会人になるときがくる。
    自分のやりたいことを仕事にしてほしい。
    希望する就職先に入ってほしい。
    そんな思いがありました。

    だから、中学選びは
    その「いつか」を有利に運ぶために逆算して、
    希望する大学や難関大学への進学を確かなものにする
    その一歩目という印象でした。

    ただ、
    それを表に出して話していたかというと、
    そうではなかったと思います。

    家での会話では、
    「いい学校だよね」
    「落ち着いて通えそうだよね」
    という言い方が中心でした。

    期待と現実のあいだで揺れていた

    正直に言えば、
    私たちの中には期待もありました。

    「このレベルの学校に入れたら」
    という気持ち。

    将来の選択肢が広がるかもしれない、
    という感覚。

    でも同時に、
    現実も見えていました。

    今の学力。
    今の状況。
    この先、
    どうなるか分からないという不確実さ。

    「目指す」と言うには、
    まだ早い。
    「現実的だ」と言うには、
    まだ材料が足りない。

    その間で、
    私たち自身が
    揺れていたのだと思います。

    子どもには、そのまま伝えていなかった

    こうした気持ちを、
    私たちは
    そのまま長男に伝えていたわけではありません。

    「この学校に行けたらいい」
    という言葉は、
    口にしても、

    「この学校に入ってほしい」
    「このレベルでなければならない」
    という形では、
    言葉にしていなかった。

    期待があるからこそ、
    それが長男の重荷にならないよう
    距離を取っていた。

    いま振り返ると、
    そんな関わり方を
    していたように思います。

    親の側の「判断」も、まだ曖昧だった

    この時点での私たちの気持ちは、
    はっきりした判断というより、
    願望に近いものでした。

    「ここに行けたら」
    という仮定の話。

    現実的な戦略や、
    具体的な計画は
    まったく思い描けていませんでした。

    それでも、
    頭の中には
    「このくらいの学校」という
    一つの基準が、
    置かれ始めていた。

    それが、
    のちの判断に影響していったのだと、
    いまは思います。

    まとめに代えて

    「ここに行けたら」と思っていた頃の
    親の本音は、
    期待と現実のあいだにありました。

    強く求めていたわけでもない。
    冷静に割り切っていたわけでもない。

    ただ、
    選択肢として
    心の中に置いていた。

    その状態が、
    この時期の私たちだったのだと思います。

    この段階では、
    まだ何も決めていませんでした。

    でも、
    基準が生まれ始めていた。

    そのことだけは、
    確かだったように感じています。

    次の記事では、
    現実的に厳しいかもしれないと
    感じ始めたタイミングについて書きます。

    「いいな」という気持ちと、
    現実の距離感が
    少しずつ
    見えてきた話です。

    ▼ 次の記事
    現実的に厳しいと感じ始めたタイミング|距離が見え始めた瞬間

  • 長男が学校の名前を自分から言うように|親とは違う視点

    長男が学校の名前を自分から言うように|親とは違う視点

    親は自然と口にしていた

    その学校の名前は、
    私たち親の会話の中で
    よく出てくるようになりました。

    進学先の話題。
    将来のことを考えるとき。

    そうした中で、
    私たちは
    自然とその学校の名前を
    口にしていたのだと思います。

    ある時期から、
    長男の口からその学校の名前を聞くようになりました。

    親が話していた学校を、子どもが覚えていた

    長男は、
    学校の情報を自分で調べていたわけではありません。
    学校案内を読み込んでいたわけでもない。

    それでも、一度行ったことがあり、
    家で話題に出る学校の名前は、
    しっかり覚えていたようです。

    「いい学校なんでしょ」
    そんな言い方でした。

    理由は、とても素朴なものだった

    なぜその学校の名前を
    出すようになったのか。

    あとから聞いてみると、
    理由は
    とてもシンプルでした。

    家でよく名前を聞いていたから
    模試で行ったことがあり、校舎の雰囲気がなんかよかったから。
    友達からその学校の名前を聞いたから。

    それらが重なって、
    「ここを目標にする、
    という感じなのかな」
    と思ったそうです。

    子どもは、数字では見ていなかった

    長男は、
    たぶんその頃、偏差値の意味はあいまいにしかわかっていなかったと思います。

    どのくらい難しいのか。
    どのくらいの位置なのか。

    それは前提にない。

    それでも、
    「悪い学校ではなさそう」
    「行けたら、いいかもしれない」

    そんな
    ぼんやりとしたイメージが、
    本人の中で
    形になり始めていたようでした。

    親とは違う理由で、目標になっていた

    いま振り返ると、
    私たち親が
    その学校を意識していた理由と、
    長男が
    その学校の名前を出すようになった理由は、
    少し違っていたように思います。

    親は、
    情報や数字、将来の見通しを
    頭に置いていた。

    一方で、
    長男は、
    身近な会話や耳にした評判、
    実際に行ったことのある場所、
    そうした感覚から「いいところ」と受け取っていた。

    同じ学校でも、見ているものは違っていました。

    まとめに代えて

    長男が
    学校の名前を
    自分から言うようになったことで、
    その学校は私たち家族にとって
    「親が考えている選択肢」から
    「共有され始めた目標」へと
    少しだけ位置づけが変わりました。

    ただ、
    この時点でも、
    何かを決めたわけではありません。

    親と子が、
    同じ名前を同じ重さで
    見ていたわけでもない。

    それでも、
    進学先について考える土台が、
    少しずつ共有され始めていた。

    そんな時期だったように思います。

    次の記事では、
    この学校について
    親である私たちが
    どんな期待を抱いていたのか。

    子どもには
    そのまま伝えていなかった
    親の本音について
    書いていきます。

    ▼ 次の記事
    「この中学に行けたら」と思っていた頃の親の本音|期待と現実のあいだ

  • 偏差値60〜65の学校を「いいな」と思った理由|数字より先に見ていたもの

    偏差値60〜65の学校を「いいな」と思った理由|数字より先に見ていたもの

    これで私たちも中学受験組「感」

    前の記事で書いた学校は、
    当時の私たちにとって
    「志望校」というほど
    固まった存在ではありませんでした。

    ただ、
    話題に出すときと
    少し一人前というか、中学受験組だと実感できるというような感覚でした。

    偏差値は見えていたが、基準にはしていなかった

    本を見れば、
    その学校の偏差値は
    60〜65あたりでした。

    低い数字ではない。

    ただ、
    「この数字を目指そう」
    「この位置にいなければならない」
    そう考えていたかというと、
    そうではありませんでした。

    数字は、
    あくまで情報の一つ。
    でも、
    会話の中心にはなっていなかったと思います。

    「無理そう」と感じなかったこと

    その学校について話していたとき、
    私たちの中にあったのは、
    漠然とした前向きさです。

    「とても届かない感じがする」
    「現実味がない」

    御三家のような雲の上の存在ではないし、
    そうした言葉は、
    特に出てきませんでした。

    だからといって、
    「行けそうだ」と
    確信していたわけでも当然ありません。

    口に出しても
    重くならない。

    その感覚が、
    「いいな」という気持ちにつながっていたように思います。

    学校そのものより、空気を見ていた

    校舎の雰囲気。
    学校のサイトで見る生徒さんたちの雰囲気。

    そうした断片から、
    「安心できそうだな」
    「落ち着いて通えそうだな」
    という印象を
    受け取っていました。

    当時の私たちは、
    学校の強みを
    分析していたというより、
    自分たちの感覚に
    合うかどうかを
    探っていたのだと思います。

    子どもの反応が、判断を後押ししていた

    長男自身は、
    まだ中学校というものを
    具体的に想像できていたわけでは
    ありませんでした。

    それでも、
    その学校の話をしたとき、
    特に否定的な反応があったわけではなかった。

    それだけで、
    十分だったように思います。

    「嫌ではなさそう」

    その感覚があるだけで、
    選択肢として
    置いておいていい。

    当時は、
    それくらいの基準で
    考えていました。

    まとめに代えて

    偏差値60〜65という数字は、
    たしかに見えていました。

    でも、
    それが理由で
    「いいな」と思ったわけではありません。

    無理そうだと感じなかったこと。
    話題にしても空気が重くならなかったこと。
    子どもが拒まなかったこと。

    そうした、
    言葉にしづらい感覚の積み重ねが、
    この学校を
    「いいな」と思わせていたのだと思います。

    当時は、
    それが判断だという自覚もありませんでした。

    ただ、
    後から振り返ると、
    ここにも一つ、
    確かに選び取っていたものがあった。

    いまは、
    そう感じています。

    次の記事では、
    長男自身が
    自分からその学校名を出すようになった話です。

    親の感覚とは少し違う、
    子どもの視点について
    書いていきます。

    ▼ 次の記事
    長男が学校の名前を自分から言うように|親とは違う視点

  • 小4〜小5初期に目指していた学校|「ここに行けたら」と思っていた頃

    小4〜小5初期に目指していた学校|「ここに行けたら」と思っていた頃

    まずはぼんやりと目標を

    家探しやお金のことを考えながら、
    同時に、
    長男の進学先については
    当然話題になりました。

    「もし行けるとしたら、
    こんな学校だろうか」
    そんな会話が、
    自然と増えていた時期でした。

    当時の志望校の話は、
    まずはぼんやりと目標を掲げるくらいのイメージだったと思います。

    小6になった頃の長男の学力も、
    いまの位置もわからなかったからです。

    何となく思い浮かべていた学校像

    この頃、
    私たちが思い浮かべていたのは、
    共学校でした。

    説明会や学校案内を取り寄せてみたわけでもありません。
    学校案内の本を買い、
    ぱらぱらとめくりよさそうだなと思ったところ。
    その程度です。

    まだ、
    候補を絞る段階ではありません。
    比較をしていたわけでもありません。

    ただ、
    話題にするときに
    だれも否定しない学校、
    という位置づけでした。

    たまたま学校に行ったときの雰囲気

    たまたま、その学校で模試を受ける機会がありました。
    校舎の雰囲気。
    簡単な学校の説明。

    一つ一つを
    評価していたわけではありません。

    それでも、
    帰り道に
    「ここに行けたらいいね」
    と長男に言うと
    「うん」
    と返ってきた。

    まだ中学校という存在に
    ピンときていなかった長男が反応した。
    そのことで私たちの中の空気が、
    少しだけ変わったのを覚えています。

    数字は知っていたが、中心にはなっていなかった

    もちろん、
    偏差値という数字を
    まったく見ていなかったわけではありません。

    本を見れば、
    数字は載っていますし、
    大まかな位置づけも
    分かっていました。

    ただこの時期、
    その数字を軸に
    話をしていたかというと、
    そうではありませんでした。

    学校の名前や
    雰囲気が先にあり、
    数字は
    背景に置かれている、
    という感覚だったと思います。

    志望校という言葉を、まだ使っていなかった

    この頃、
    私たちは
    「志望校」という言葉を、
    はっきり使ってはいませんでした。

    「目指す」
    「狙う」
    といった表現も、
    まだしっくりきていなかった。

    ただ、
    話題に出る学校が
    少しずつ固定されていく。

    その変化に、
    当時は
    特別な意味づけを
    していなかったと思います。

    まとめに代えて

    小4〜小5初期に
    思い浮かべていた学校は、
    判断の対象というより、
    会話の中に自然と
    置かれていた存在でした。

    この時期は、
    何かを決める前の、
    空気が形になり始めた頃。

    のちに振り返ると、
    ここに、
    いくつもの判断の前提が
    すでに含まれていたのだと
    分かります。

    ただ当時は、
    そのことに
    気づいていませんでした。

    次の記事では、
    なぜその学校を
    「いいな」と感じていたのか。

    当時の会話や
    見ていたポイントを手がかりに、
    もう少し具体的に
    書いていきます。

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    偏差値60~65の学校を「いいな」と思った理由

  • この時期に知っておきたかったこと|迷いが続いていた理由

    この時期に知っておきたかったこと|迷いが続いていた理由

    立ち止まれずにいた

    家探しを続けながら、
    教育費や家計のことも考え、
    夫婦の前提が揃っていないことにも
    薄々気づいていた頃。

    それでも私は、
    なぜか立ち止まれずにいました。

    何が足りなかったのか。
    いま振り返ると、
    この時期に知っておきたかったことが
    いくつかあります。

    情報が足りなかったわけではなかった

    当時、
    何も分からないまま
    動いていたわけではありません。

    物件価格の相場。
    住宅ローンの仕組み。
    教育費がこれから増えていくこと。

    必要そうな情報は、
    一通り集めていました。

    それでも判断できなかったのは、
    情報が足りなかったからでは
    なかったように思います。

    「何に迷っているか」わかっていなかった

    いま振り返ると、
    迷いが続いていた一番の理由は、
    「何に迷っているのか」を
    正しく捉えられていなかったことでした。

    条件が多いから迷っている。
    情報が多すぎるから迷っている。

    当時は、
    そう思っていました。

    でも実際には、
    前提や優先順位が
    整理されていないまま、
    考え続けていた。

    その状態では、
    いくら情報を集めても、
    答えが出ないのは
    当然だったのだと思います。

    「探しながら決める」が、判断を先送りしていた

    「探しながら決めればいい」

    この考え方に、
    当時の私は
    助けられていました。

    一方で、
    この言葉に隠れて、
    決めるべきことを
    先送りにしていた面も
    あったように思います。

    どこまでなら妥協できるのか。
    何を優先するのか。
    何を後回しにするのか。

    それらをはっきりさせないまま、
    動き続けていた。

    そのことが、
    迷いを減らすどころか、
    長引かせていたのだと、
    いまは感じています。

    判断を避けている自覚がなかった

    当時の私は、
    慎重に考えているつもりでした。

    決めて失敗するより、
    よく考えた方がいい。

    そう思っていたからです。

    でも実際には、
    決めるための整理を
    避け続けていた。

    そのことに、
    自分自身が
    気づいていなかったのだと思います。

    判断しないことも、
    一つの判断だった。

    この感覚を、
    この時期に
    知っておきたかった。

    まとめに代えて

    この時期に知っておきたかったのは、
    特別な知識や
    具体的な答えではありません。

    迷いが続いているとき、
    足りないのは
    情報ではなく、
    考える順番かもしれない。

    そのことを、
    早く理解できていれば、
    迷い方は
    少し違っていたかもしれません。

    ここまでが、
    Phase1で積み重なってきた
    迷いの正体でした。

    次の記事では、
    家探しやお金の迷いと並行して、
    この期間に私たちが
    長男の進学先をどう考えていたのか、
    志望校の話に戻ります。

    一度で答えを出すことができず、
    迷いの中で
    判断を重ねながら進んでいった道のり。
    その最初の話です。

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    小4〜小5初期に目指していた学校の話

  • 家探しで最初に失敗した判断|前提が揃わないまま進んだこと

    家探しで最初に失敗した判断|前提が揃わないまま進んだこと

    気づいていなかったわけではないが

    夫婦のあいだで、
    家に対する前提や優先順位が
    揃っていない。

    そのことに、
    まったく気づいていなかった
    わけではありませんでした。

    それでも、
    家探しは続けていました。

    何を失敗したのか

    今振り返って、
    家探しで最初に失敗した判断は
    はっきりしています。

    夫婦で優先順位が揃っていないと分かっていながら、
    「探し続ければ、そのうち答えが見つかる」と考えて、
    家探しを止めなかったこと。

    この判断が、
    最初の失敗だったと思っています。

    当時、そう判断した理由

    当時の私は、
    こう考えていました。

    条件をすべて
    最初から決めきるのは難しい。
    実際に探しながら、
    見ながら、少しずつ
    すり合わせていけばいい。

    家探しとは、
    そういうものだと
    思っていました。

    だから、
    夫婦で
    細かい前提が揃っていなくても、
    動き続けていればどこかで
    一致点がみつかる。

    そう信じていたのだと思います。

    揃えなかったもの

    でも実際には、
    揃えないまま
    進んでいたものが
    ありました。

    どこまでなら
    価格を下げられるのか。
    どこまでなら
    条件を削れるのか。
    教育費とどう折り合いをつけるのか。

    それらを
    「探しながら決める」
    という言葉で
    先送りにしていた。

    今思えば、
    これは
    決めなかったのではなく、
    決めないという判断を
    していたのだと思います。

    なぜ、そのときは失敗だと思わなかったのか

    この判断をした当時、
    失敗だとは
    感じていませんでした。

    むしろ、
    前に進んでいる、
    動いている、
    という感覚の方が
    強かった。

    止まってしまうよりは、
    探し続けた方がいい。

    そう思っていたからです。

    だから、
    違和感があっても、
    「いまは答えが出ないだけ」
    として、
    深く立ち止まることは
    しませんでした。

    まとめに代えて

    家探しで最初に失敗した判断は、
    物件の選び方や、
    条件そのものではありません。

    前提が揃っていない状態で、
    行動だけを先に進めてしまったこと。

    そのことが、
    後になって、
    迷いを
    長引かせる原因に
    なっていたように思います。

    当時は、
    それが失敗だとは
    気づいていませんでした。

    でも今は、
    ここが
    最初の分岐点だったと
    感じています。

    次の記事では、
    この判断のあとに
    重ねてしまった
    小さな選択について書きます。

    当時は
    特に問題だとは
    思っていなかったけれど、
    振り返ると
    流れを変えてしまった
    判断でした。

    ▼ 次の記事
    この時期に知っておきたかったこと|迷いが続いていた理由

  • 家探し 夫婦で意見が割れたポイント|優先順位が揃わなかった理由

    家探し 夫婦で意見が割れたポイント|優先順位が揃わなかった理由

    大きな衝突があったわけではないけれど

    教育費や家の話をするにつれ、
    妻との間に流れる空気に
    少しずつ引っかかりが残るようになっていきました。

    大きな衝突が
    あったわけではありません。

    ただ、
    話し合いを重ねても、
    どこか折り合いがついていない。

    そんな感覚が、
    残るようになっていました。

    家について、考えていた前提が違っていた

    当時、
    私が家について考えていたのは、

    「すべての条件を
    満たすのは難しいかもしれない」
    という前提でした。

    教育費のことも頭にあったので、
    家については
    ある程度の妥協が必要になるのではないか。

    価格を少し下げて、余裕を持たせる、
    という選択肢も現実的だと
    感じていました。

    一方で、
    妻は家について別の前提を
    持っていたように思います。

    エリア。
    間取り。
    生活のしやすさ。

    これらは
    簡単に妥協すべきものではない。

    せっかく家を買うなら、
    納得できる条件を揃えたい。

    そんな考え方でした。

    教育費の捉え方も、同じではなかった

    教育費についても、
    見ている重さは同じではありませんでした。

    私は、
    この先にかかる教育費の全体像を考えると、
    家にかけるお金は
    少し抑えた方が安心なのではないか、
    という感覚がありました。

    一方で、
    妻は
    教育費について、
    そこまで重荷になるものとは
    感じていなかった。

    必要なものは
    必要なタイミングで出ていくのは仕方ない。

    その分、
    住まいについては後悔したくない。

    そうした感覚だったように
    思います。

    正しさではなく、優先順位の違いだった

    どちらかが
    無理を言っていた、
    というわけではありません。

    家を大事にしたい、
    という考え方も、
    教育費を含めて
    全体の余裕を考えたいという感覚も、
    どちらも理解できるものでした。

    ただ、
    優先しているものが揃っていなかった。

    同じ条件を見ていても、
    重く感じる部分が違っていた。

    そのズレが、
    話し合いの中で
    少しずつ
    表に出てきていたのだと思います。

    まとめに代えて

    当時は、
    「意見が割れている」
    という言い方しかできませんでした。

    でも今振り返ると、
    正解が違っていた
    というよりも、

    前提と
    優先順位が
    揃っていなかった。

    そのことを、
    うまく言葉にできないまま、
    話を進めようとしていたことが、
    折り合いのつかなさに
    つながっていたように
    感じています。

    次の記事では、
    こうした前提のズレを
    抱えたまま、
    結果的にしてしまった
    最初の判断について書きます。

    そのときは、
    「失敗」とまでは
    思っていなかった話です。

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    家探しで最初に失敗した判断|前提が揃わないまま進んだこと